2021年3月29日月曜日

特に何もない

家の中に閉じこもっていたら、本当に何も変化がない。
商店街に買い物に行く途中で公園を通ったら、桜が八分咲き。
ぼんやりしている間に、季節は容赦なく巡っていくのね。

暖かいせいか、今年の桜は早いなあ。
ついこの前まで蕾だったのに、もうこんなに咲いている。

雨が降ってきた。桜が満開に近づくと必ず雨が降るね。
鳩が雨宿りしていた。

住宅街の中の更地になっているところに白い花が。
なんという花かしら。可憐な姿。
ここが更地になってからもう10年以上経っていて
お庭だったところは、木はそのままで草ぼうぼうなんだけど
住む人がいなくなって、家がなくなっても、花は咲き続けるのね。

2021年3月19日金曜日

桜が咲いた!

スーパーに行く途中に近所の公園を通ると、桜が咲き始めてる!!
わあわあわあ、枝垂れ桜はもうこんな感じ。
夜、散歩していたら、こぶしの花も咲いてるやん!
本当に春が来た。
一年ってあっという間だなあ。
去年は本当に何もせずに過ぎた、ほとんど無駄な一年だった。
何もしていないようで、ちゃんと次に繋がるようなことがあったのか。
分からないわ、それは。結果がすべてね。

でも春だから、小難しいこと考えるのはちょっと置いておくわ。

わーわーわー、春だ!
と、浮かれていればいいのよね、今だけは。

2021年3月18日木曜日

道を探す

家に閉じこもっていると、暑いのか寒いのかよく分からないわ。

最近は昼夜逆転しているせいか、寝なきゃと思っていてもなかなか眠れない。
そしたら友達からLINEが来て、やっぱり眠れないと言ってた。
ふむ、そうだろうなあ。眠れないときはラジオ体操する。

今日は歌のレッスンなので久し振りに大阪に行く。

課題曲Danny Boyは今日でいったん仕上げということになった。
この曲は本当に難しかった。
さらさらーっと続いてしまうので、なんか支えを入れられない。
それに、英語の歌詞が苦手だと気付いた。
前のSound of Musicもさっぱりだったし、口内をどう使っていいのか分からない

今日、注意されたこと。

・音をタンタンと縦に刻まない。滑らかに流れるように。
・高音は後ろに倒さない。スペースは広く、息は細く。
・声を自分の近くで鳴らさない。特に歌いだしの部分は
 自分から離れたところから声が出ているイメージで。
 手を大きく振りかぶって遠くを指さしながら練習してもよい。
・フレーズ最後の低音は、音はさがっても上がるイメージで歌う。
・イ母音、エ母音は平たく潰れがちになるので奥行を出す。
 奥行を出すためには縦に開ける。
 下あごは落とさないが、奥歯と奥歯の間を広く開ける感じで。

この後、前回の課題曲「城ケ島の雨」を歌ってみた。
すっかり忘れていてリズムが取れない(冷や汗
以前は出にくかった出だしの低音が出しやすくなっていた。
他の歌を練習していると、歌えなかったところが歌えるようになることがある。
それはテクニックがついてきたということ、と先生。

城ケ島の雨は、フレーズ毎にまとまっているというか
ひとつのフレーズが終わったらそこでブレスしてまた体勢を整えられる。
一方、Danny Boyはそういうのがないのでブレスのタイミングが難しい。

今日は乾燥しているせいか、喉がパリパリして
粘膜が引っ付いている感じ。

掠れるところに入らないように、息が通る道を必死で探して歌った。
私の場合、掠れるときは身体の後ろを使うとなんとかなる。
声が声帯を通過せず(本当は通過しているのだけど)
背骨から後頭部にあがっておでこに抜ける、というイメージ。

先生に、そのまま歌ったら今までだったらがさっとなっていたところ
上手く避けて歌っていらっしゃいますね。
それができるのは、テクニックが上ってきているということです、と言われた。
ふーむ、そうなのか。でもなんか支えられていないし
すごく貧相な歌になるんだよね。ふー。

体調は日によって違うから、正しい発声をしていても出ないことがある。
そういう場合は、なんとか出る場所を探しながら歌うようにと言われた。
これ、Youtubeの動画で見たドイツ在住のオペラ歌手も同じことをおっしゃってたなあ。

道はいつも開いている訳ではない。
到達点が見えているのだから、そこへの道が塞がっていたら、とにかく通れる場所を探す。

歌のレッスンはなかなか深いな。歌うって、人生だ。

次回の課題曲は、イタリア歌曲から先生に選んでもらうことになった。
もう当分、英語の曲はいいわ。

***

久し振りの大阪だったので、帰りに梅田近辺をうろうろ。

お腹すいたなあ。

ぴちょんくんが泣いている。
このホテル、かっこよくない?
なんか昔の映画に出てくるみたい。
久し振りにお初天神に行ってみた。
おみくじを引いてみた。
境内にあるお稲荷さんと、本殿と二回引いてみたら
お稲荷さんは小吉、本殿は末吉。
種類が違うおみくじだけど、書いてあることは同じだった。

今は慌てて動くな、と。
やる気がでなくても、今はしゃがんで飛び上がる準備をする時期だ、と。

はあ、やっぱりおみくじは当たるわ。
今、やる気はない。でもすごく焦っている。
あせってじたばた動いているんだけど、本当にこれでいいのか?とも思っている。
思っているってことは迷いがあるんだ。
迷っている時に焦って考えなしに飛びつくと、絶対後悔するんだよね。

今はちょっと宙ぶらりんでもいいか。

あ、どちらも「学業には励め」とあったわ。
はい、サボりません。勉強は続けます。
明日から。

久し振りに鯛焼き食べるよ。

鯛が痩せてる。。。
世知辛いねえ。

2021年3月11日木曜日

いろいろとどうでもいい

暖かいですね。もう3月も10日ですわ。春ですわ。
昨日なんて昼間の気温が16度もあって、こたつに入っていたら暑かったわ。

例によって、食べる→仕事する→寝る、の繰返しなのですが
ここ数日、ずっとこたつでうたた寝する日が続いて身体がガチガチ。
歌の練習をしていても、声が出ない、というか身体が膨らまない。

夕べから徹夜で仕事していて先ほど納品した。
別に忙しかったわけではなくて、集中できずにぐずぐずしていたら
いつの間にか納期が迫っていただけ。
さっき朝ごはんを食べたから、今から寝る。
もう数日間は寝続けたい。何もしたくない。もう何もかもどうでもいい。
とことん無気力ですわ。

座りっぱなしだと身体が固まるので、朝や昼間にちょっとだけ散歩している。
マンション前の八重椿も満開ですわ。

この花、正面からみたら造りもんみたいにほぼ完璧な形をしていますけど
完璧なものを見たら欠点を探したくなるのが人の常でございますわね。

後ろからみたらこんなんですよ。

お花を裏から見るなんて、ひと様の着物の裾をまくり上げるような不作法さ。
でも、見えちゃったんだもん、仕方ない。

こうしてみると、造花みたい。裏側はぺったんこなのね。
なんかどこかで見覚えがあるなと考えた。そして思い出した。
小学校の時に学校で何かあったら作っていた、ティッシュの花に似ているんだ。
ティッシュを山と谷に細く折って、真ん中をゴムで留めて開いてお花にする、あれ。
そういえば、色もこんな感じのティッシュ・・・というか「花紙」でしたわ。
ああ、歳がばれる。若い人は「花紙」なんて知らないわね。
ポケットティッシュがまだ高価だったころ、ティッシュ替わりに「花紙」という
二つ折りのもうちょっと厚手のティッシュっぽい紙を持ち歩いていたのよ。
「ハンカチと花紙を忘れないように」とおばあちゃんに言われたことないですか。
あの花紙、子供向けのはアニメとかのイラストが入ってましたわ。
今でも花紙で検索したら出てきますけど、今のは本当にお花作り用なのね。
京花紙というのが、昔の花紙に近いですね。

一杯咲いていたので、写真に撮ってみた。

ふーん、やっぱり造りもんっぽいなあ。

あちこちで木蓮が咲いている。

すごく好きな花だけど、コートもいらないほどの暖かい日に咲く木蓮はいとすさまじ。
木蓮の蕾が膨らんでくるのを見ながら、春の訪れを感じるのがいいんだよね。
姿もどことなく品が良くて、上品な花というのは冷たい空気の中で咲いているのが似合う、
というよりも、冷たい空気の中で咲いている花は凛として気品を感じさせるの。

ふらふら歩いていたら、どこかの家の塀の足元に可愛い花が咲いていた。

これも形が良すぎて造りもんっぽい。
あまりに整い過ぎて隙がないものというのは面白くないね。
人間もそうなのかも。多少欠点があった方が魅力的に感じる。

何言ってるかよく分からないのは眠いからだ。
もう寝る。

2021年3月1日月曜日

二月が終わる

二月が終わってしまった。
もう三月だよ、春だよ。でも二月はあんまり冬らしくなかったなあ。

備忘録と言っても特に書くことがない。
起きて、仕事して、ご飯食べて、寝て、の繰返しだから。
その仕事も終了。3月からどうしましょう?
コロナのおかげで計画していたことが全部だめになっちゃったなあ。

二月のイベントとしては、東京大衆歌謡楽団の三日間ライブですわね。
私は都合がつかなくて二日しか行ってないけど
去年と同じ、藤井寺市の道明寺天満宮で演奏。
梅を見ようと思って梅園に行ったら、天気良すぎてなんかしなびていた。
梅の香りが立つのは、朝の早いうちか夜ですね。
くんくんしたけど、ほとんど香りがしなかったわ。

マンションの前の八重椿の蕾が開いてきた。
近所の公園の梅の花も満開。
青空に梅はどうも映えないなあ。梅はやっぱり寒い時に咲くのが美しいよ。
春を待つ花なのに、待つひまもなく暖かくなってしまったら、なんだか興ざめだなあ。

春といえば、黄色い水仙が咲いていた。
同じ水仙でも白は冷たい空気が似合って、黄色は春の陽気が似合う気がする。

梅田の地下に行ったら、パイナップルケーキで有名な台湾の「Sunny Hills(微熱山岳)」が
大阪店をオープンしていた。行列が出来ていたのでなんとなく並んで
大阪店限定の、パイナップルケーキとりんごケーキ3本づつ入ったセットを買った。
Sunny Hillsは東京に支店があって、大阪にはたまにポップアップで出店していたのが
この度、大阪駅のLUCUA Osaka地下二階に店舗が出来たのね。

これはりんごケーキ。
りんごケーキも美味しいけど、やっぱりパイナップルケーキの方が好きかな。
ここのは、外のクッキー生地が美味しいのね。
ただ、カロリーは一個200キロカロリー越え。うわーっ。

ビニール袋の代わりに、商品サイズに合わせた布袋に入れてくれるのが嬉しい。
ちょっとした手土産にも使えるね。
まあ、これぐらいかなあ。あとは歌のレッスンに行くぐらいで特になにもしていない。

この一ヶ月、気分が上がったり下がったりで結構しんどかった。
座りっぱなしで腰も痛いし、自分史上最強のデブになるし、で
さすがに年齢には勝てないなあと思った。

外で働きたいけど、仕事が見つからない。
もう何社落とされたことか。
こういう時期は、どこも若年労働者を安く囲いこみたいから
経験やスキルよりも、若いことの方が大事なんだよね。
求人を見ると、今は月収も時給も「どうやって暮らすんや、これ!」というくらい
驚くほど安くなっている。
この時期に働きに出るのは、一番損なんじゃないかと思うようになったわ。
しばらくはなんとか在宅仕事で食いつなぐしかない。

いっそ起業しようかと思っていて、実は以前からいろいろ考えていたのだけど
今月、いろんな人とオンラインで話す機会があって気付いた。
みんな、これが好き、こういうことをやりたい、というものがあるんだ。
いや、あるだろう誰にも。と思われがちだけど、実は私にはそれがないんだ。
これがやりたいと言うものがあれば、リスクを取ってもとりあえず始めようと思う。
でも、私は何が好きかと聞かれれば、特に好きなものはない。
その時々で好奇心を刺激するものについて、深く調べたりはするけど
好奇心が満たされれば満足して、そこまで。
何かやりたいことがあるかと言われれば、特にない。

昔からそうだったんだよね。
多分、子供のころからずっと譲らされてきて、一番欲しいものは諦めて来たからだと思う。
別にいいや、と自分に言い聞かせているうちに、気づいたら欲しいものなんてなくなっていた。
期待して裏切られるのも辛いし、目の前にあるのに諦めさせられるのも辛いから。
欲しくないものを与えられて、わー、嬉しい!と喜んでみたり
欲しいものを諦めさせられて、いいよ別に、私はどっちでもいいと微笑んでみたり
これっぽっちも楽しいと思わないことを、おもしろかった、楽しかったねえ!と喜んでみたり。
そういう反応を周りが期待しているのだから、はいはい、ご期待に応えますよ。
応えたら満足でしょう?

だから人が嫌い。人と関わるのが嫌い。
ところがこれでも、明るくて元気な人、社交的な人、
いつも飄々淡々と世の中を渡っている、たくましい人
と言われているんだから、笑わせてくれるわ。

あえて何がしたいかと聞かれれば、何もしたくない。ただ、放っておいてほしい。
あえて何が欲しいかと聞かれれば、誰にも関わらずに済むための経済力が欲しい。
ストレートに言っちゃえばお金。今何が一番欲しいかと言われれば、お金が欲しい。
愛はいらない。金があればいい。

なんか身も蓋もないつまらない人間だなあ。
そうなんだよ、私はつまらない人間なんだよ。

いろんな人と話していて気付いた。
みんな繋がりたいと思っているんだ。そして自分の好きなことで世の中の役に立ちたいと。
これを聞いた時、心底びっくりした。私はかなり内向きな人間で
自分の頭の中で考えることは好きだけど、人と深くコミットするのが苦手だから
繋がり、と言われれば先に立つのは義務感。とにかく義務感。
どんなことでも、仕事になってしまう。

世の中の役に立ちたい。まあ、自分のやっていることが誰かの助けになるのなら
それは素晴らしいことだけど、これもピンとこないんだよね。
私は「溺れたときに掴む藁」としての役回りを否応なくやらされてきて
使われて捨てられて、の繰返しで、そういう星の下に生まれてきたとあきらめているけど
役に立てと言われても、これ以上何を私から奪う気だ!と思っているくらいだから。
役に立ちたいなんて思わなくても、勝手に周囲が私から搾取してくれるわ。
でも、みんなの言う「役に立つ」というのはそれとはちょっと違うみたい。
自主的になにかやって、喜んでもらえるのが喜びになるということか?
そもそも、自分のやる何かが人に喜んで貰えるなんて、凄く不遜な考えにも思えて。
お前何様なんだ、お前のやることなんか大したことないよ、という声が聞えてきそうで。

なんか面倒くさい。それでも終わりが来るまで生きていないといけないんだよね。
ただ、いつか終わりが来ると分かっているから。だからどうでもいいんだ。
すべてはどうでもいいと思える。それが自由。

天満橋を歩いていたら、こんな風景に出会った。
写真は上手く撮れなかったけど、曇り空の下の色のないこの風景が本当に美しいと思った。
まるで私の心の中のようだなあ。
私の「自由」のイメージはこんな感じだな。

これで二月終わり。

また放置、そしていつのまにか春

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