2017年7月16日日曜日

暑いので怪談その参

三連休だというのに、暑いので扇風機の前から動けない。

ついにエアコンを買った!
もう木曜日と金曜日の朝の暑さで、しんどいなんてもんじゃない。
起きたら頭が痛くてふらふら。正直、身の危険を感じたわ。

でも工事は来週末。明日は気温が36度まで上がるとか言ってるし
耐えられるか、私。快適なエアコンライフを夢見て一週間を乗り切るわ。

ついでに?桃も買った。
今年はじめての桃。スーパーであまりによい香りがしていたので。

金曜日にセミの抜け殻を見つけた。

ここ数日、帰り道に道端でごろんとした太い虫を良く見かけるようになって
なんぞこれは?とよく見たら、セミなのね。
で、気の早いセミはもうこんな風に脱皮している。
セミが地中から出てきたということは、もうすぐ梅雨が明ける。

***

あまり涼しくならないと思うけど、桃をかじりながら、怪談。

幽霊を車に乗せたと言う話はよく聞きますよね。

タクシーの運転手さんが、暗い道で若い女性を乗せた。
その女性は俯きがちで何もしゃべらない。
目的地について、着きましたよと振り返ったら
誰もいなくてシートがぐっしょり濡れていた、というやつ。

若い女性、白いワンピース、顔が隠れる長い黒髪が定番ですわ。

こういうのも普通に説明はつきます。
夜遅くだから運転手さんは疲れていただろうし
あそこで幽霊を乗せたという話も、職場で噂になっていただろうし
疲れと噂話が一緒になって、幻覚を見せたのだろう、と。

では、別に疲れてもいないし幽霊の噂もない場所で
乗せてしまった場合、いったい何があったんでしょうね。

これは、15年ほど前に実家に帰ったときに聞いた話。
町内会で話題になったんだってさ。

****

ある冬の日のこと、近所の60代の男性が奥さんと二人
車で峠を越えていた。

峠と言っても、新しい明るいトンネルはついているし道幅は広いし
近隣の人は慣れている峠道。
時間は夜、といってもまだ8時にはなっていなかった。

トンネルを越えてしばらく下ると、前方の道の端を
女性が歩いているのに気付いた。

追い抜いたときに見ると、ジャンパーにスラックス
マフラーを巻いた、近隣の主婦といった感じの服装。
小柄な女性が、寒いのか肩をすくめるように
背中を丸めてトコトコトと山道を下っていた。

いくら道が広いと言っても、こんな夜に山道を女性がひとり
危ないじゃないか、と思った男性は
少し先に行ったところにある駐車場で車を停めた。

そこは、名水で有名な湧き水を汲みに来た車のための駐車スペースで
街灯もついていて明るい。しばらく待って女性が通りかかったとき
男性は車から降りて声を掛けた。

奥さん、奥さん、どこまで行かれるんですか。
夜になると車は結構飛ばしますから、歩いていると危ないですよ。
よかったら送って行きますよ。

急に声を掛けられて立ち止まった女性を街灯が照らす。
年齢は40過ぎぐらい、痩せていて化粧っけがなく
山道を歩いていたせいか、顔色が悪い。

知り合いではなかったが、男性はその顔を見て
どこかで見たことのある人だ、と思った。

「わたしはこの麓の、○○というところまで行くのですけど・・・」
と女性が答えると、
「ああ、○○ですか。私は△△のものです。
家内と一緒に山の向こうの親戚に行った帰りです。
○○なら通り道なので送りましょう」
そう言って男性は、車に乗るように勧めた。

○○なら知り合いもいてよく行く。
きっとその時見かけたか、近くの大型スーパーで見かけたか
とにかく、この人は見たことがある人だ
男性は改めてそう思った。

近隣の住民だと言ったからか、妻が乗っていて男性ひとりではないからか
女性はほっとしたように、それは助かります、と何度もお礼をいって
後部座席に乗り込んできた。

車を発進させ、また山道を下りながら
「どうしてこんなところを一人で歩いていたのですか」と訊ねると
山の向こうの町の病院に行った帰りだという。
バスがなくて仕方なく・・・と。

走りながら、ときどきちらりとミラーで後ろを見ると
よほど疲れたのか、女性は俯いて眠っているようだ。
助手席の妻も眠っているのか目を閉じている。

三人無言のままで山道を下り、15分くらいで○○村に入る分かれ道まで来た。

男性はそこで車を停め、奥さんここでいいですか。
よかったら家の前まで・・・といって振り返ると
そこに女性の姿はなかった。

いない?どうしたんだ。停めたときにすぐ降りたのか?

慌てて車を降りて辺りを見回しても、女性の姿はどこにもない。
女性は忽然と消えてしまった。

男性は車に戻り、おい、あの人はどうした?どこへ行った?
と助手席の妻に声を掛けた。

妻はきょとんとした表情で、お父さん急に車を降りでどうしたの?
あの人って誰よ、何を言ってるの?と言う。

さっき水汲み場の下の駐車場で女の人を乗せただろうが。
あの人がいなくなったんだよ。

ところが妻は、何言ってるの、駐車場で止まってなんかいないわよ。
まっすぐここまで帰ってきたじゃないの、と。

お前寝てて覚えてないだけだろう。
ずっと起きてたよ。お父さんこそ寝ぼけてたんじゃないの?
運転しているんだからしっかりしてよ。
と押し問答になり、家では息子にまで、
おやじ、ボケるのはまだ早いぞと言われる始末。

妻から何度も否定されて、男性本人も
夢を見ていたのだろうか、と思うようになった。
それにしてははっきりしすぎている。
それに、あの女の人は確かにどこかで見たことがある。

モヤモヤしたまま数日をすごしていた男性も
日々の忙しさに、やがてその出来事を忘れていたが
年末、忘年会の席で○○に住んでいる友人と同席したので
酔っぱらったついでの話のネタという感じで
あの不思議な体験を話してみた。

最初は、お?怪談話か?と面白がっていた友人が
女性の特徴と、同じ村の人だと言うのを聞いて表情を変えた。

その人、山の向こうの病院に行っていたと言ったんだな?
と真顔で確認してきたので、確かにそう言ったと答えると
うーん、もしかしてあの人かな、と。

友人の近所の家の奥さんがその病院に入院していたが
治療の甲斐なく亡くなってしまった。
年齢も風貌もその奥さんに似ている。
まだ小学生のお子さんが二人いて
自分がもう長くないと知っていた奥さんは
あとに残す子供のことをそれはそれは心配していたと言う。

まだ若かったからなあ。葬式でも子供さんが
お母さん、お母さんとお棺にすがって泣いて泣いて
気の毒で見ていられなかったわ、と。

子供のことが心配で、家に帰りたかったんだろうなあ
男性と友人は二人で母親の気持ちに涙したという。

****

暗い道で女性を乗せる、同乗者が気付かない
目的地に着いたら姿が消える、と言う点は
こういう話のパターンを踏襲していますわね。

違うのはこの話の場合、運転者本人の意志で車に乗せたこと
白い服の女性ではなく、ごく普通の服装をした40代の主婦であること
特徴を覚えているくらい、はっきり顔を見ていること
世間話のような違和感のない会話をしていること。

さらに、うちの田舎の怪談パターンとして
体験者が中年を過ぎた男性で、敏感なお年頃でもなく
オカルトマニアでもなんでもなかったことと
そもそもこの峠を歩く人はいないので
幽霊が出るという噂もまったくなかったということ。

でも、こういう話を聞いて疑いもせずみんなで語り合い
「小さい子残したらそれは心配やわ、気の毒になあ」
と同情してしまう土地柄を考えたら
やっぱり男性の幻覚だったのかもしれない。

なにせ、うちの母もこの話を母に教えた近所の人も
一番の疑問点が、家でお葬式を出したのに
どうして奥さんは山道を歩いて家に向かっていたんだろう
ことだったので。

思わず、そこかよ!亡くなった奥さんが歩いていたことは
疑いもない大前提かよ!とつっこみ入れたくなった。

うちの田舎には、家を離れたところで亡くなった人には
家族が「さあ、一緒に家に帰りましょう」と声を掛ける習慣がある。
それをやらないと、亡くなった人が迷ってしまって帰ってこられなくなるんだとか。

若くて亡くなっているから、家族もショックでそんな余裕がなかったんやろうねえ。
やっぱりちゃんと言うてあげんとあかんねんなあ、って
しみじみ言ってたわ。

この話が本当かどうか分からないけど、実家に帰ったときなど
夜、その山道を車で走っていると、あの奥さんはどんな思いで
この峠を越えたんだろうかと、ふと思ってしまうの。
暗い道を、速足でひたすら下っていく女性の姿が見えるようで
そのイメージのほうが、話の真偽よりも私にとってはずっとずっと大事なの。

この手の話は山のようにあるので、また思い出したら書く。
怖くないけど。


***

明日は京都に行く予定。
祇園祭だよ。

2017年7月13日木曜日

響きが出た歌のレッスン

今日、家に帰ってポストを見たらこんな冊子が入ってた。

水害・土砂災害のハザードマップ。
市内を何か所かに区分して、内水氾濫、崖錐氾濫、
土砂災害が起こる危険性のあるところが、かなり詳しく色分けしてある。
あちこちで豪雨による被害が出ているから、すごくタイムリーなんだけど
これって前にも来たっけ?今回が初めてのような気が。
避難所の場所から土嚢が保管してある場所まで示してあって、
最後のページには非常持ち出し品の常備チェックリストまであるわ。
うちのマンションが建っているところは、丘の上なので浸水しないけど
市内の真ん中を流れている川が天井川、さらに淀川まであるからか
浸水する地域が多くてちょっとびっくりだわ。

***

今日は歌のレッスンの日。

先生に、高音がすごく響いていると言われた。わーい!
ついに響きが出るようになった。うれしい!

今までは歌っていてもすーっという息が聞こえていて、
息の上に歌が乗っているという感じだったけど、
今日は息が聞こえないし、とても綺麗に響いていますよ。
喉にまったくひっかからずに出ています。
ゆるやかなビブラートが自然に入っていますね、って。

ついに、勝手にビブラートまで入ったよ!

これもひとえに先生の御指導のおかげ
(と、孝太郎さんの唄を研究したおかげ)でございます。

うれしい、わーい、わーい!

その分、低音が全然出なかったけど。
今日は一番低い音、出さなくていいからと言われたけど。

週末から声がずっとかすれていて、低音が上手く出せないんだよね。
声が割れていても、先生が「こうやってみて」と言われた通りにやると
ちゃんと割れずに出る。でも、油断するとすぐ割れる。
しばらくは歌わないほうがいいのかなあ。

今日注意されたことを忘れないうちにメモメモ!

発声練習でやった、NeとNaを連続して歌うときの注意。
NaはNeより縦に高く発声する。
背の高い帽子をかぶっていて、帽子の中で声が上に上がっているような感じで。
口は縦に開けるけど、この時頬のあたりの筋肉を持ち上げると
筋肉がこわばるので、 こめかみから上を開いて
頭に触角を生やすようなイメージで発声すると
口の中から持ち上がる。

声を出している場所が喉の奥過ぎる。
とくに「わ」の音が喉の奥にぺったりと張り付いている。
「わ」は口を鯉のように開けて、口の形を意識して前気味のポジションで出す。

低い音は息を強くしすぎず、眉間のあたりから抜く。
高い音は後ろに引いて前に出す。
この時、手をうしろにそよぐように動かすと出しやすい。
(これ、前も注意された)

高音に撥ねる部分、ひとつ前の音から準備はしておくのだけど
前の音が一拍で余裕がある分、跳び箱を飛ぶときのように
タメを作ってしまっている。
音は一拍だけど、気持ちとしては実際よりも短く歌う。

両手を顔の横でぐるぐる回転させて、前の音をスピードアップして
次の高音をすぐに出すつもりで歌うと自然に出る。
(手をぐるぐるさせたら、本当にするっと出た!不思議だわ)
高音は狙って当てようとしないこと。

低音は下あごを下げないこと。口は大きく開けなくてもよい。
下あごが下がると、声がくぐもって高音との違和感が出る。
はい、何度も注意されています。
低音が出にくいときは、つい力がはいっちゃうのね。

****

今日は高音が綺麗に響いているので、この感じを忘れないように
と、言われてたけど、どうやって出しているのか
自分ではいままでとの違いがよく分からない。

ビブラートも、意識して入れようとしたわけではなので
どうして入るのかいまひとつ分からない。

大昔、ロックバンドで歌っていたときもビブラートで悩んでいて
ジャスを習っていた姉に聞いてみたら、技術としてはやり方が
何種類かあるけど、無理に入れようとしなくても勝手に入るよ、と。
姉には、自分だって入ってるよと言われたけど、良く分からなかった。

ある音と、それよりひとつ上の音を繰り返して発声して
それをだんだん早くしていく、というやり方を読んだことがある。
これ、実際にやってみたけど、難易度が高すぎて無理だったわ。

音大出身の歌の講師の方が、ビブラートをどうやって入れるのか
という質問に答えている動画を見たけど
「音大では一度も習ったことがありません」「自然にできるようになります」
と言ってて、ええーっ、それはないよ、教えてよー!と思った。
でも、私も先生からビブラートの入れ方を習ったことはない。
クラシックを習い始めてから、あれ?なんかビブラート入ってる?
と思うようになった。自分では上手く説明できないけど
息の強さと、当てるポジションが関係あるような気がする。

気がするだけで、実際どうなっているのか分からないから
再現できない。いまのところ、まぐれです。

***

帰りに先生が、短い間でよくここまで高音が出せるようになりましたね。
かなり早いですよ、とおっしゃった。わーい!
自分でも、高音が楽に出せるようになるとは思わなかったわ。
そもそも全部裏声で歌うなんて絶対無理だと思ってた。
地声が低いから、低音の方が楽だろうと思い込んでいたけど
実際は、高音の方が出しやすい。

先生によると、高い音を出すときは声帯を伸ばしているそうで
声帯はトレーニングで伸ばせるので、高い方が出しやすいのが一般的、
低音は出し方が違うし、声帯の長さには個人差があって
これが音域を決めるので、低音域を広げるほうが難しいのだとか。

高音と低音は出し方が違うので、高音が綺麗に出ているときは
えてして低音がうまく出ないものだから、あまり気にせず練習してください、
とおっしゃった。

うーん、細かい注意をひとつひとつちゃんと覚えていて
歌の中に落とし込んで実行する、というのが出来ないのね。
こういうの、意識せずに自然に歌える日は来るのかしら。

2017年7月10日月曜日

暑いので怪談その弐

今日も暑かった。
夕方から夕立があって、突然の凄い雨に
干していた洗濯物がびしょびしょになった。
もう一回やり直したわ。ぷんぷん。夜の間に乾いてくれるかな。

実家からトマトを送ってもらった。
トマトは野菜スープにも使うし、すりおろしてジュースにもする。

このすりおろしプレート、これまで買って失敗してきた
数々のキッチン用品の中では、数少ない当たり。

これでトマトを皮ごとゴシゴシとすりおろして、トマトジュースにする。
皮は残ってしまうけど、手軽だし夏の間はほぼ毎日トマトジュース飲んでる。

今日も暑くて家に閉じこもっていた。
昨日の怪談の続きです。怖くないけど。

***

小学校の5年生くらいの頃かな、学校で「キューピッドさん」が流行った。

可愛い名前だけど、つまり「こっくりさん」ですね。
こっくりさんと言うと、なんだか怖い感じがするので名前を変えただけで
やり方もルールもこっくりさんとほぼ同じ。

いろいろ制約があって、例えば途中で10円玉から絶対に手を放してはいけないとか
帰っていただくときは、どこそこからお帰りください、と言わないといけないとか。

でもやっているのが子供、しかも時間制限のある休み時間ということで
みんなそんなルールは適当にしか守っていなかったけど
それでなにかあったということも、よく聞く集団ヒステリーのようなことも
まーったくありませんでした。子供だって本気で信じてやっていた訳でもないし
学校でも、父兄の間でも問題にはなっていなかった。

ところがある日の学級会の時、担任の先生が
「ああいうものはやらない方がいい」とおっしゃった。

その先生は50代の女の先生で、いつも明るくて元気でおもしろい先生が
日頃とは違うとても真剣な様子で「軽々しくやらないように」とおっしゃったので
今でもよく覚えているの。

***

当時50代だった先生が幼い頃の話なので、戦前の出来事。

先生の御実家は商家。
商家ではお稲荷さんをお祀りしていることが多いけど
先生の御実家も庭に祠を建てて
お父さんが毎朝それは熱心に手を合わせていた。

ある朝、いつものように庭の祠にお詣りに行ったお父さんが
血相を変えて家の中に飛び込んできた。
「お稲荷さんがいらっしゃらない!」

家の人はお父さんが一体何を言っているのか分からなくて
ちょっと落ち着いて。お稲荷さんがいらっしゃらないってどういうこと?
と訊ねても、お父さんは「いらっしゃらない、どこかに行ってしまわれた!」
と繰り返しては、これはえらいことになった、えらいことになった
と頭を抱えるばかり。

祠になにかあったのだろうかと、家族みんなで確かめに行ったけど
庭も祠もいつも通り、荒された様子はまったくない。
それでもお父さんが、ここにいらっしゃらないのだと言うので
お父さんがおっしゃるなら、そうなんだろうということになった。

お父さんはあちこちに相談に行かれたようで
近所の稲荷神社も尋ねられたけど、お稲荷さんを探す術はなく
毎朝、祠に手を合わせに行っては「まだお戻りになっていない」
と肩を落とすだけだった。

お稲荷さんがいなくなったという日からひと月ほど経った或る夜のこと
先生は両親の話し声で目が覚めた。
お勝手に行ってみると、お父さんが出かけるところだった。
こんな夜遅くにどこに行くのと訊ねると
お父さんはこれからお稲荷さんを迎えにいくのだ、と。

お稲荷さんが見つかったの?どこにいらっしゃるの?と聞いても
もう遅いからお前は寝ていなさい、と言うと
お父さんはお母さんに見送られて、提灯を持ってひとりで勝手口を出ていかれた。

翌朝目が覚めると、お父さんはすでに家に帰ってきていて
にこにこと上機嫌。お母さんや家族も、よかった、よかった、と話している。
お父さんは先生の顔を見ると、お稲荷さんが無事帰ってこられたぞ
と夕べの出来事を話してくれた。

昨夜、お父さんの夢枕にお稲荷さんが立たれた。

自分は今、○○村の何某という家にいる。
帰れないので、すぐに迎えにこい。

お父さんは飛び起きた。お稲荷さんを迎えに行かなくては。
○○村は、峠の向こうの村。
お母さんはこんな夜中に山を越えるなんて、と反対したけど
お稲荷さんが呼んでいらっしゃるのだから、すぐに行かなければならない。

お父さんは峠を越え、○○村に着いた。
村の駐在所で何某の家の場所を訊ねると
確かにその家はあった。

家に行って夜中に突然訪ねたことを詫び、
自分は山の向こうに住む何々というもので
実はうちのお稲荷さんが夢枕に立たれて・・・と事情を説明すると
最初は不審がっていた様子の家人が、はっとした表情で
どうぞお入りくださいと家に入れてくれた。

通された部屋には10歳くらいの男の子が寝かされていた。
寝ていたかと思うと、突然うーっと獣のような声を上げて起き上がろうとする。
慌てて家人が抑えると、それを振り払おうと、
手足をばたばたさせて暴れ
白目をむいてうーっ、うーっと唸り声をあげている。

この子はひと月ほど前から突然このような様子になったという。
医者に見せても原因が分からず、友達の話では
こっくりさんをやっていて、途中で止めてしまったとのこと
それならばと拝み屋に見せても元に戻らず
ほとほと困り果てている、と。

そこでお父さんはその子の枕元に座り
「お稲荷さん、お迎えにあがりました。一緒に帰りましょう」
と声をかけると、唸り声をあげていた子供が急におとなしくなった。

お父さんはお稲荷さんを背中におぶって
またひとりで、峠を越えられた。

***

「こういうことをすると、何を呼び出すかわからないんです。
よその家の神さんか、もっと悪いものかもしれません。
簡単に帰ってもらえないこともあるんです。
だから、軽々しくやってはいけません!」
と、先生は強い調子でおっしゃった。

この話を聞いて、まず思ったのが
お稲荷さんて見えるの?どんなお姿なの?ということ。

お父さんにはお稲荷さんが見えていたんだよね。
家族の中でお父さんただひとりだけ。
お父さんはなぜ神さんの姿が見えたのかな。
お父さんとお稲荷さんの間にどのようなつながりや約束事があったんだろう。

なぜお父さんはひとりで向かわれたのだろう。
やっぱり、神さんのお姿は見てはいけないんだろうか。
お稲荷さんは偉い神さんなのに、なぜ自分では帰ってこれなかったんだろう。

てか、それ本当においなりさ・・・いやいやいやいや、それは止めておこう。

分からないことがいっぱいで、でもそこをつっこんで聞いてはいけないような
まがまがしいような恐ろしいような、なんとも言えない気分になった。



***

ところで私が通っていた小学校は、
ひとつの問題に対し、統計資料などを基に結論を導き出す
という授業を熱心にやっていた。
その授業方法がそこそこ有名だったらしくて
全国からしょっちゅう視察団がやってきていたし
教育大の人が授業の様子を撮影したりもしていた。
自由研究などでも、必ず論拠となる資料を提示することが求められたし
分からないけどなんとなく~、みたいなのは駄目
ちゃんとその理由を説明するようにと常に言われていた。

理論的思考を重視している学校なのに、教員が授業中に
こんな訳のわからない話を真剣にするというのもどうかとは思うけど
こういう相反するものが何の疑問も矛盾もなく混在しているって
昭和の学校、今から考えると結構カオスだな。

このお父さんの様子も、子供の様子も
科学的に説明しようと思えば、簡単に説明はつくと思う。
でもそれを説明してもらったところで、なーんも面白くないのよ。

それよりも、今でもこの話を思い出すたびに浮かんでくる
暗闇の中にぼんやりと浮かぶ提灯の灯りと
真っ暗な山道を、何かを背負ってひとり歩くお父さんの姿。
夢か現実か分からないような、その絵の方が
私にとってはずっとずっと大事なのね。

これも、私の記憶の中の風景のひとつ。

2017年7月9日日曜日

暑いので怪談

暑いわ。暑くて扇風機の前から動けない。
あんまり暑いので、季節の風物詩というか怖い話でも。

こういうのって自分で見たことがないので、信じることはできないけど
見たこともないものを否定することもできない。
まあ、あったほうがおもしろいんじゃないか、と言う程度ですけど
いろいろ聞くことは聞く。そして聞くのが結構好き。
現象そのものよりも、心理状態とか習慣など
背景にあるものが興味深いのね。

***

記憶の中で一番古い怪談話というのが、心霊写真の話で
多分、幼稚園に入る前のことだと思う。
建て直す前の古い実家の台所で、母と
隣で美容院をやっていたお姉さんがこの話をしていたの。

古い家の、土間の広い台所に張り出した板張りの
黒い引き戸の納戸と、水屋と、ちゃぶ台の上の
籠に伏せられた藍色の唐子柄の湯呑茶碗と
その上に乗せられた新聞。勝手口から差し込む白い光。

その新聞(多分、地元で一番読まれていた「神戸新聞」だと思う)に
不思議な写真が撮られたという記事が載っていて
母たちはそれを話題にしていた。

加古川市(これも多分)のある高校の生徒さんたちが東京方面に修学旅行に行き
富士山の五合目で集合写真を撮ったところ
ひとりの生徒さんの肩の上に、誰の手か分からない手が乗っていた、というもの。
富士山の五合目での集合写真も、肩の上の手も、ド定番ですね。
今思うと、なんでこんなもんが新聞に載ったのかよく分からない。

こういう話には尾ひれがつくもので、その手の正体は自殺した女子高生だとか
肩に手を置かれた生徒さんが自殺したとか、頭がおかしくなったとか
まあ、本当かどうか分からない話がどんどん膨らんでいった。
しばらくの間、大人の人たちはどこに行ってもその話でもちきりで
怖い話なのにみんなすごく熱心なのが不思議だった。

うちの田舎は結構心霊がらみの体験談がまことしやかに話されていて
そういう体験をしたのも、話すのも、ほとんどがいい歳したおじさんおばさん。
多分、こういう話をご近所さんとワイワイするのも娯楽のひとつだったのだと思う。

昔のことだから、子供は大人の会話に口を挟まないのが普通で
傍でおとなしく聞いていたのだけど、門前の小僧状態というか
自然にこういう話を聞くのが好きになったのかもしれない。

****

小学生の頃よく聞いたのは、キツネに化かされた話。

私の実家は、駅から踏切を超えて続く道の突き当りにあって
その道がうちの前で二手に分かれているという、
いわゆる「三叉路のどんつき」に建っている。

そのどんつきに、当時は美容院があった。
美容院というのは、前に「南の花嫁さん」でも書いたオウムが来た美容院で
うちの敷地の道路に面したところを、母の幼馴染のお姉さんに貸していたの。

その美容院に遊びに行ったとき、あるお客さんがお姉さんに
こんな話をしていたのを聞いた。

ある夜、残業して帰って来たそのお客さんは
最寄駅で列車を降り、いつものように踏切を渡って三叉路まで歩いた。

三叉路のどんつき(つまり美容院の前)で道は二手に分かれていて、
右はうちの町内に左は隣の集落に続いている。

お客さんは道を左に曲がって自宅がある隣の集落に向かった。
少し歩くと家が途切れて、道は田んぼの中のまっすぐな一本道になる。
その道を50メートルくらい進むと、古いお地蔵さんがある辻に出る。
そこを右に曲がって、数十メートル行くと、お寺。
お寺の横の、家と家の間に左に曲がる細い道があって
その道の入り口に街灯が立っている。

田んぼの中の一本道にも、お地蔵さんの辻にも街灯はなくて
もう日が暮れていたけど、道の左手には田んぼの向こうに駅が見えて
そこは一晩中電灯が明々とともっているし、一本道の先には集落があって
そこの家々の灯りも見える。暗いけどひとりで歩ける、毎日通い慣れた道。

その道を真ん中あたりまで来たとき、突然、駅の電灯が消えた。
駅だけではなく、道の先にある集落の家の灯りも
振り返ると、通り過ぎてきた集落の灯りもすべてが消えて
辺りは真っ暗で何も見えない状態。

一体何が起こったの?停電か?
訳が分からなくてしばらくその場に立ちすくんでいたお客さんは
遠くにぼんやりとひとつだけ、街灯らしき灯りがついているのに気付いた。

あれは間違いなくお寺のそばの街灯。あそこまで行けは家はすぐだ。
道は直線、少し歩けば辻まで来る。
そこから右に街灯を目指して数十メートル歩くだけ。
大丈夫、これくらいなら帰れる。

そう思ったお客さんは気を取り直して歩き始めた。
しばらく歩くと、真右に街灯が見えるところまできた。
お地蔵さんの辻だ。
ここで右に曲り、街灯までまっすぐ歩くだけ。

ところが、行けども行けども街灯にたどり着けない。
最初は暗いからいつもより遠く感じるのだと思っていたけど
歩けば歩くほど、街灯がどんどん遠ざかっていくように見える。
それに、歩きにくい。舗装された道路のはずなのに
泥の中を歩いているようにぬかるんでいる。
泥に足を取られて前になかなか進めない。

おかしい、これは絶対におかしい。
そう思うと急に怖くなり、とにかく早く帰りたくて走ろうとした。
でも、道はますます悪くなるばかりで脚が重くて前に出ない。
とうとう何かにつまずいて転んでしまった。
靴が片方ぬげた。でも足元も見えないくらいの暗闇で靴が見つからない。
そのまま這うように歩き続けて、どれくらい経ったのか
ようやく街灯にたどり着いた。

疲労困憊して街灯の柱にすがりついたとき、突然周りの灯りが一斉に点いた。
振り返ると、田んぼの向こうには電灯に照らされた駅のホームが見える。

やっぱり停電だったのか、とほっとした。
道を左に曲がり、我が家の玄関を開けたときは
ようやく帰れたという安堵感でその場に座り込んでしまった。

こんなに遅くなるのなら電話くらいしてきなさい、と怒りながら迎えに出た母親が
「どうしたの!」と大声で叫んだ。

母親がそこで見たのは、全身泥だらけで片方だけ靴をはいて
座り込んでいる娘の姿。

それから家中大騒ぎになった。
年頃の娘が夜遅くに泥だらけで帰ってきたのだから、それは当然。
停電があって、暗い中を歩いて帰ってきだだけだと説明しても
停電なんかなかった、大丈夫だから本当のことを言いなさい、と信じてもらえない。
押し問答になってらちが明かないので、とりあえず今日は疲れているから寝て
明日改めて話そうということになった。

翌日、夜が明けてからお父さんが近所を調べると
街灯の近くの麦畑が、誰かがぐるぐる歩いたように
円形に踏み荒らされていて、その真ん中に娘の靴が落ちていた。

「どうやら、キツネに化かされてたみたいやねん」
とお客さんが言って、お姉さんも、周りのお客さんも
それはえらい目に遭うたねぇ、と同情するようにうなずいていた。

それから、うちのおじいさんが昔あの峠で狐に・・・という体験談や
狐に化かされたときは、腕を手のひらから肩に向かって
逆毛を立てるようにさすればいい、とか
獣は火を嫌うからライターを点ければいいらしい、という
マメ知識の披露でえらく盛り上がっていたわ。
そして店のお客さんの口からこの話があっという間に広まって
ご近所でしばらく話題になったという・・・。

いい大人が誰一人その話を疑わず、まるで事実のように
傾向と対策まで真剣に話し合っているのって、
今考えたら、どうかと思うわ。牧歌的と言えば牧歌的なんだけど
その現象を科学的に分析しようとする人はいなかったのか、と。

でも大人がそうだから、子供もそのまんま受け入れて
「この道でキツネに化かされたんやって~」と私も同級生に話してたわ。
うちの前の道で起こった、重大ご近所ニュースだし。

キツネがらみの話は他にもいろいろあって、
同級生の家に、縞の着物に豆絞りの手ぬぐいをかぶった女の人が訪ねてきて
犬が吠えたら大きな尻尾が見えたとか、峠でキツネに操られている人を見たとか
その類の眉唾な話。
いろいろ聞かされたわりには、一度も本物のキツネを見たことがないという
キツネが身近なのか身近でないのか、よく分からない地域だわ。

江戸時代から続く、「キツネ狩り」という風習が残っているけど
それも実際にキツネを狩るのではなく、辻に御幣を立てるというもの。
男の子しか参加できない行事で、私は参加したことはない。
参加者以外は見てはいけないことになっているけど
見てしまったらどうなるのかというと、別に何も。
そこまでの細かい設定はしていないようで。

昔はキツネに農作物を荒らされたりするという被害は当然あったとは思うけど
御幣を立てるというのは、結界を張ることだから
キツネは実際の害獣というより、厄災の象徴だったのではないかと。

それもね、キツネ狩りをするのは「若宮さんに頼まれて」なの。
そういう歌を唄いながら夜に御幣を立てていくのだけど
若宮さんというのは、近所の大きな神社の中にある稲荷神社のこと。
なぜお稲荷さんが自分の眷属であるキツネを狩るように頼むのか
この辺も良く分からない。まあ、民俗学や郷土史を研究している人が
いろいろ調べているらしいけど、難しいことは偉い学者先生にお任せで
地元民はただ習慣だから、だらだら~っと続けているだけというのがほんとのところかな。

このお地蔵さんの辻、お地蔵さんはまだあるけど
周りに家が建ち並んで、もう昔の雰囲気はないわ。

***

なんかあんまり怖くなかった。
文章が下手なこともあって全然涼しくならないね
キツネの話はお稲荷さんのちょっと怖い話もあるけど
疲れたので明日にする。

また放置、そしていつのまにか春

 歳月が流れるのは早いなあ。 ぼーっとしている間に一年が終わり、年が明けたと思ったらもう2月も終わり。 父が手術で入院したりとバタバタしていたので2月半ばまで実家でリモートワークした。 いやー、仕事になりませんわ。 18時まで仕事なのに、5時過ぎから母に「ごはん作るの手伝え...