2017年7月9日日曜日

暑いので怪談

暑いわ。暑くて扇風機の前から動けない。
あんまり暑いので、季節の風物詩というか怖い話でも。

こういうのって自分で見たことがないので、信じることはできないけど
見たこともないものを否定することもできない。
まあ、あったほうがおもしろいんじゃないか、と言う程度ですけど
いろいろ聞くことは聞く。そして聞くのが結構好き。
現象そのものよりも、心理状態とか習慣など
背景にあるものが興味深いのね。

***

記憶の中で一番古い怪談話というのが、心霊写真の話で
多分、幼稚園に入る前のことだと思う。
建て直す前の古い実家の台所で、母と
隣で美容院をやっていたお姉さんがこの話をしていたの。

古い家の、土間の広い台所に張り出した板張りの
黒い引き戸の納戸と、水屋と、ちゃぶ台の上の
籠に伏せられた藍色の唐子柄の湯呑茶碗と
その上に乗せられた新聞。勝手口から差し込む白い光。

その新聞(多分、地元で一番読まれていた「神戸新聞」だと思う)に
不思議な写真が撮られたという記事が載っていて
母たちはそれを話題にしていた。

加古川市(これも多分)のある高校の生徒さんたちが東京方面に修学旅行に行き
富士山の五合目で集合写真を撮ったところ
ひとりの生徒さんの肩の上に、誰の手か分からない手が乗っていた、というもの。
富士山の五合目での集合写真も、肩の上の手も、ド定番ですね。
今思うと、なんでこんなもんが新聞に載ったのかよく分からない。

こういう話には尾ひれがつくもので、その手の正体は自殺した女子高生だとか
肩に手を置かれた生徒さんが自殺したとか、頭がおかしくなったとか
まあ、本当かどうか分からない話がどんどん膨らんでいった。
しばらくの間、大人の人たちはどこに行ってもその話でもちきりで
怖い話なのにみんなすごく熱心なのが不思議だった。

うちの田舎は結構心霊がらみの体験談がまことしやかに話されていて
そういう体験をしたのも、話すのも、ほとんどがいい歳したおじさんおばさん。
多分、こういう話をご近所さんとワイワイするのも娯楽のひとつだったのだと思う。

昔のことだから、子供は大人の会話に口を挟まないのが普通で
傍でおとなしく聞いていたのだけど、門前の小僧状態というか
自然にこういう話を聞くのが好きになったのかもしれない。

****

小学生の頃よく聞いたのは、キツネに化かされた話。

私の実家は、駅から踏切を超えて続く道の突き当りにあって
その道がうちの前で二手に分かれているという、
いわゆる「三叉路のどんつき」に建っている。

そのどんつきに、当時は美容院があった。
美容院というのは、前に「南の花嫁さん」でも書いたオウムが来た美容院で
うちの敷地の道路に面したところを、母の幼馴染のお姉さんに貸していたの。

その美容院に遊びに行ったとき、あるお客さんがお姉さんに
こんな話をしていたのを聞いた。

ある夜、残業して帰って来たそのお客さんは
最寄駅で列車を降り、いつものように踏切を渡って三叉路まで歩いた。

三叉路のどんつき(つまり美容院の前)で道は二手に分かれていて、
右はうちの町内に左は隣の集落に続いている。

お客さんは道を左に曲がって自宅がある隣の集落に向かった。
少し歩くと家が途切れて、道は田んぼの中のまっすぐな一本道になる。
その道を50メートルくらい進むと、古いお地蔵さんがある辻に出る。
そこを右に曲がって、数十メートル行くと、お寺。
お寺の横の、家と家の間に左に曲がる細い道があって
その道の入り口に街灯が立っている。

田んぼの中の一本道にも、お地蔵さんの辻にも街灯はなくて
もう日が暮れていたけど、道の左手には田んぼの向こうに駅が見えて
そこは一晩中電灯が明々とともっているし、一本道の先には集落があって
そこの家々の灯りも見える。暗いけどひとりで歩ける、毎日通い慣れた道。

その道を真ん中あたりまで来たとき、突然、駅の電灯が消えた。
駅だけではなく、道の先にある集落の家の灯りも
振り返ると、通り過ぎてきた集落の灯りもすべてが消えて
辺りは真っ暗で何も見えない状態。

一体何が起こったの?停電か?
訳が分からなくてしばらくその場に立ちすくんでいたお客さんは
遠くにぼんやりとひとつだけ、街灯らしき灯りがついているのに気付いた。

あれは間違いなくお寺のそばの街灯。あそこまで行けは家はすぐだ。
道は直線、少し歩けば辻まで来る。
そこから右に街灯を目指して数十メートル歩くだけ。
大丈夫、これくらいなら帰れる。

そう思ったお客さんは気を取り直して歩き始めた。
しばらく歩くと、真右に街灯が見えるところまできた。
お地蔵さんの辻だ。
ここで右に曲り、街灯までまっすぐ歩くだけ。

ところが、行けども行けども街灯にたどり着けない。
最初は暗いからいつもより遠く感じるのだと思っていたけど
歩けば歩くほど、街灯がどんどん遠ざかっていくように見える。
それに、歩きにくい。舗装された道路のはずなのに
泥の中を歩いているようにぬかるんでいる。
泥に足を取られて前になかなか進めない。

おかしい、これは絶対におかしい。
そう思うと急に怖くなり、とにかく早く帰りたくて走ろうとした。
でも、道はますます悪くなるばかりで脚が重くて前に出ない。
とうとう何かにつまずいて転んでしまった。
靴が片方ぬげた。でも足元も見えないくらいの暗闇で靴が見つからない。
そのまま這うように歩き続けて、どれくらい経ったのか
ようやく街灯にたどり着いた。

疲労困憊して街灯の柱にすがりついたとき、突然周りの灯りが一斉に点いた。
振り返ると、田んぼの向こうには電灯に照らされた駅のホームが見える。

やっぱり停電だったのか、とほっとした。
道を左に曲がり、我が家の玄関を開けたときは
ようやく帰れたという安堵感でその場に座り込んでしまった。

こんなに遅くなるのなら電話くらいしてきなさい、と怒りながら迎えに出た母親が
「どうしたの!」と大声で叫んだ。

母親がそこで見たのは、全身泥だらけで片方だけ靴をはいて
座り込んでいる娘の姿。

それから家中大騒ぎになった。
年頃の娘が夜遅くに泥だらけで帰ってきたのだから、それは当然。
停電があって、暗い中を歩いて帰ってきだだけだと説明しても
停電なんかなかった、大丈夫だから本当のことを言いなさい、と信じてもらえない。
押し問答になってらちが明かないので、とりあえず今日は疲れているから寝て
明日改めて話そうということになった。

翌日、夜が明けてからお父さんが近所を調べると
街灯の近くの麦畑が、誰かがぐるぐる歩いたように
円形に踏み荒らされていて、その真ん中に娘の靴が落ちていた。

「どうやら、キツネに化かされてたみたいやねん」
とお客さんが言って、お姉さんも、周りのお客さんも
それはえらい目に遭うたねぇ、と同情するようにうなずいていた。

それから、うちのおじいさんが昔あの峠で狐に・・・という体験談や
狐に化かされたときは、腕を手のひらから肩に向かって
逆毛を立てるようにさすればいい、とか
獣は火を嫌うからライターを点ければいいらしい、という
マメ知識の披露でえらく盛り上がっていたわ。
そして店のお客さんの口からこの話があっという間に広まって
ご近所でしばらく話題になったという・・・。

いい大人が誰一人その話を疑わず、まるで事実のように
傾向と対策まで真剣に話し合っているのって、
今考えたら、どうかと思うわ。牧歌的と言えば牧歌的なんだけど
その現象を科学的に分析しようとする人はいなかったのか、と。

でも大人がそうだから、子供もそのまんま受け入れて
「この道でキツネに化かされたんやって~」と私も同級生に話してたわ。
うちの前の道で起こった、重大ご近所ニュースだし。

キツネがらみの話は他にもいろいろあって、
同級生の家に、縞の着物に豆絞りの手ぬぐいをかぶった女の人が訪ねてきて
犬が吠えたら大きな尻尾が見えたとか、峠でキツネに操られている人を見たとか
その類の眉唾な話。
いろいろ聞かされたわりには、一度も本物のキツネを見たことがないという
キツネが身近なのか身近でないのか、よく分からない地域だわ。

江戸時代から続く、「キツネ狩り」という風習が残っているけど
それも実際にキツネを狩るのではなく、辻に御幣を立てるというもの。
男の子しか参加できない行事で、私は参加したことはない。
参加者以外は見てはいけないことになっているけど
見てしまったらどうなるのかというと、別に何も。
そこまでの細かい設定はしていないようで。

昔はキツネに農作物を荒らされたりするという被害は当然あったとは思うけど
御幣を立てるというのは、結界を張ることだから
キツネは実際の害獣というより、厄災の象徴だったのではないかと。

それもね、キツネ狩りをするのは「若宮さんに頼まれて」なの。
そういう歌を唄いながら夜に御幣を立てていくのだけど
若宮さんというのは、近所の大きな神社の中にある稲荷神社のこと。
なぜお稲荷さんが自分の眷属であるキツネを狩るように頼むのか
この辺も良く分からない。まあ、民俗学や郷土史を研究している人が
いろいろ調べているらしいけど、難しいことは偉い学者先生にお任せで
地元民はただ習慣だから、だらだら~っと続けているだけというのがほんとのところかな。

このお地蔵さんの辻、お地蔵さんはまだあるけど
周りに家が建ち並んで、もう昔の雰囲気はないわ。

***

なんかあんまり怖くなかった。
文章が下手なこともあって全然涼しくならないね
キツネの話はお稲荷さんのちょっと怖い話もあるけど
疲れたので明日にする。

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