オペラ歌手、山中雅博さんのワークショップ
「山中雅博のNewみんなで歌うで~!」に行って来た。
近所のお店にチラシが置いてあって予定を知ったの。
山中雅博さんは去年、近所のお寺でカンツォーネを歌われたのだけど
その時は楽団の演奏会があったので、残念ながら聴きに行けなかった。
ちょっと気になってたので、思い切って参加してみました。
いやー、面白かった!楽しかった!めちゃくちゃ勉強になったわぁ。
腰回りの筋肉のほぐし方から、腹式呼吸のやり方、身体を共鳴させる方法から
歌唱のヒント、さらに山中先生の歌とバイオリンまで聴けるという
ボリュームたっぷりな内容で、参加費用はたったの999円!
なんでハンパな金額なんでしょうか。もういっそ1000円でええやん。
一円玉が溜まり過ぎて困ってはるんやろか?
首の後ろの大きな神輿ダコもりりしい中山先生。
ピアノは10年ともに活動していらっしゃる増田敏子さん。
興味深いお話がいっぱいだったので、覚えている範囲でメモしとく。
腰回りを柔らかくする体操がよさそうだった。毎日やろう。
姿勢とか呼吸の仕方は、私の先生に教わった方法と同じだったけど
腹式呼吸の練習で、息を吸う長さよりも吐く長さを長くするのが難しかった。
例えば5秒吸って7秒で吐く。4秒吸って8秒で吐く、と言う風に
吸う時間を短くして、逆に吐く時間を長くする。
二秒で吸って10秒で吐くときは、7秒あたりから苦しくなるので
丹田に力を込める。こうすると同じように息が吐ける。
・・・はずなんだが、上手くいかなかった。これは毎日練習するわ。
歌のお稽古では、よく「こういうイメージで」という指導がされるけど
イメージすることで脳が身体をそのように動かそうとするんだって。
例えば、猫の真似をしてくださいと言われると、猫を思い浮かべて
猫のように小さく丸まって、にゃーんとやるけど
それは思い描いた猫のイメージ通りに身体が動いているということ。
イメージすることがとても大事。
歌うときは全身を共鳴させる。頭だけでなく身体も脚も全身。
共鳴させる時も、自分が共鳴する楽器になったとイメージする。
そうすると自然に共鳴腔が開く。
声は後ろではなく前に出す。自分よりも前で声が出ているようなイメージで。
これは私の先生がいつもおっしゃることと同じね。
発声練習の後、歌を四曲練習した。
「みかんの花咲く丘」「琵琶湖周航の歌」「朧月夜」「カチューシャ」
まず驚いたのは、参加者の方の声が大きいこと。
合唱をやっていらっしゃる方向けのワークショップで
参加者のほとんどが60代から70代とお見受けしましたけど
すごく大きいしっかりした声で歌われるのね。
それに息が続くところも凄い。
ちゃんと練習を続けていればこの年齢になってもしっかり歌えるんだ
と思うと、何となく心強いですわ。
息をどれくらいの強さで歌っていいのか分からなくて
周りに合わせて同じように大きな声、つまり強めの息で歌っていたら
息が続かなかった。しかも疲れてヘロヘロ。
うちの先生は、息は弱めで良い、大声を出さなくても良いとおっしゃるのだけど
合唱での息の強さってどのくらいにすればいいんだろう。
あと、全部の曲でキーが低い。地声で歌えば出る高さだけど
裏声で出すのは結構しんどい。合唱って地声で歌っていいんだろうか?
歌唱の指導もしていただきました。
「みかんの花咲く丘」は8分の6拍子なので、ついつい身体を左右にゆすって
前を強く歌ってしまいがちだけど、この歌はみかん畑を眺めて亡き母を偲ぶ歌なので
みーっかん~のっはっなが~、みたいな歌い方はしない。
みかん畑を眺めながら、ああお母さんと見たみかんの花が咲いているなあ、と
心にみかん畑を浮かべながら、広がりを持たせて歌う。
イメージすることで母音に色づけをする。明るく歌うことで母音の響きが明るくなる。
子音は前で。母音は音に当てる。
先生の御指導通りに歌っていると、みなさん聴く側になっていますよ、と。
歌いながら自分の歌をしみじみ聴いている、と。
聴く側ではなく伝える側なのだから、聴いている人に伝えなければいけない。
聴き手として歌わないこと。
「琵琶湖周航の歌」
琵琶湖を望む広大な風景をイメージすること。
(広大ったって、先生、琵琶湖ですよー、琵琶湖)
サ行を凛々しく歌うこと。武士のように、バンカラ学生のように。
苦手の子音S。綺麗に出すのはなかなか難しいわ。
「朧月夜」
この歌、二年前に習ったのに全然歌えない、てかキーが低すぎで出ない。
凹んだー。
「カチューシャ」
きみなきさとにも、を弾ませない。弾ませるとロシア民謡にならない。
ここは、とろけるチーズをひっぱるようにねばっこく。
歌の練習のあとは先生の歌とバイオリン。
素敵なお声。曲のタイトルは分からないけど
多分、「マリウ 愛の言葉を」かなあ?
CDに入っている曲だそうです。
この写真、かっちょいいわー。CD買っちゃおうかしら。
「彼女に告げてよ」この曲、情熱的ですごく好きなのね。
他にもためになるお話をたくさん聞かせていただいたのに、
メモを取らなかったから思い出せない。私のアホアホ。
次回はちゃんとメモろう。次は7月7日です。
2019年6月23日日曜日
2019年6月20日木曜日
高音ざっぷ~ん、低音撃沈!な歌のレッスン
うどん県行きのバスが停まっていた。
踊る阿呆が徳島県、みかん県が愛媛県
うどん県は何県だったっけ?うーん、思い出せない。
高松だから四国のあのあたりね。
大体の場所は把握しているから、もう正式名称うどん県でいいや。
バスを見送りつつ、本日は歌のレッスンですよ。
****
先週から口内が腫れていて狭い。そのせいか声は掠れるし低音はでないし
今日ももったいないことになってしまった。
まず発声練習。
後ろに倒さないように、高い位置から斜め下に落とすように
と何度も注意されているので、それを意識して歌ってみた。
響きは高い位置に集まっていてそれは良いのだけど、
例えば高いところに三角定規があるとする。
その斜めの辺の上を下がって、一番細い先端が声の響くところとすれば、
縦の辺と同じ幅だけ後ろも開いているイメージで、と先生。
つまり後ろを大きく開けということなのね。
後ろも開くことを意識して歌うと、ぺらっとしていた声に
ちょっとだけ奥行がついた。
スタッカートの練習では、声は頬骨の上あたりで出ているけど
頬骨の内側で声が鳴っている。外側のもっと前で声を出すこと。
「今山に」(ドミソドソミド)は低い音の終わりかたが
無駄に力が入ってなくて綺麗に置けていると言われた、わーい。
額から声を出すことを意識したら、倒れにくくなったなあ。
でも、やっぱり低音は掠れる。そして声はペラい。
課題曲’O sole mio
歌い出しの位置が低い。
息を頭のあたりまで上げて、高い位置から歌い始めること。
na jurnata 'e sole のsoleは、leを伸ばしている間に音色が変わる。
soleは口の形を変えない。大きく開かない。
soもleも同じ位置で歌うこと。
低音の'na tempesta のstaの部分が倒れている。
sとtを抜いて、aだけで歌ってみると倒れない。
おそらく、staのsとtを発音しないといけない、と構えるから
そこだけ力が入って下がるのでは?と先生。
このstに悪戦苦闘。どうしてもここで意識してしまって
声が詰まってしまう。意識せず、とにかく高い位置で軽くを心がけること。
子音では、festaのfeで響きが下がる。
子音fと同じ、頬骨のあたりでeも歌うこと。
前半最後のChe bella cosa na jurnata 'e soleでは
cosaのsつまりzの音が上手く発音できなくて
ここでつまったようになってしまう。
なんどもzの音を練習して、aとくっつけて発声したけど
zの音のせいでどうしても喉の奥が狭くなってしまった。
aを歌うとき、上をしっかり開ける。
上顎の奥歯のあたりがぐっと上がるようなイメージで。
そして高音が続く後半。
cchiù bello, oje ne' のneでnは頬骨のあたりの
「鼻が詰まったときに詰まるところ」あたりから抜けるから
eも自然に同じ場所から抜くこと。
前回も上手く歌えなかった、sta' nfronte a teが
今日はなぜかfroでくぐもってしまう。
先生と二人でどうなっているか考えた結果、
froで舌を奥に巻き込んでいることが判明。
rで巻いた後、oを歌うときに舌を前に伸ばすと詰まらなくなった。
低音が下がって潰れてしまうので、低音は低いと考えず
全部高音を歌うように歌ってみることになった。
最初から高音と同じように上を開くことを意識したら
「開いている顏になってますね」と先生。
どんな顔やー(笑)
低音はしっかり開かなくても歌えてしまうので
どうしても狭くなってしまう。
高音と同じように歌った方が声が楽に出るので
しばらくはこの感じで歌うことになった。
この曲は、川が流れるように平坦に歌うよりも
波が打ち寄せるように動きをつけて歌う。
Ma un'atu soleは、Ma un'atuでジェットコースターが高いところまで登り
soleで一気に下るような、波がさっぷーんとなるようなイメージで。
このsoleと、続くcchiu bello, ohi ne’のne、次の'osole mioのmioは
この曲の中でキーとなる重要な音で、極端に強くしなくてもいいけど
アクセントをつけて歌うこと、と先生。
こうして波が動いているように歌うことで、聴いている人が
「歌い手はこの曲を歌っていて楽しいんだ」という印象を与える。
実際には楽しくないかもしれないけど、聴き手には楽しく聞こえる。
前にも教わった、テクニックを使うことで表現できる、ということね。
後半の盛り上がるところは、イタリア人の気分で明るく。
今日は後半の高音パートはまずまずだったけど、
前半の低い部分、とくに子音がものすごく難しい。
高音では波がざっぷーんだけど、低音の子音、ぜんぶ撃沈です。
低いと無意識にちゃんと発声しなきゃと思って力が入る。
上手く歌えたときは、どうやったのかをちゃんと自分で分析して
それを繰り返し練習すること。
この歌、鼻歌で歌うときは軽く声が出るのに
レッスンで歌おうとすると緊張するせいか、声が出にくい。
先生によると、この歌は緩く歌うのではなく
ある程度のテンションが必要なんだって。
聴いてる分には簡単そうなのに、実際歌ってみると
歌えないもんだなあ。はあ・・・。
踊る阿呆が徳島県、みかん県が愛媛県
うどん県は何県だったっけ?うーん、思い出せない。
高松だから四国のあのあたりね。
大体の場所は把握しているから、もう正式名称うどん県でいいや。
バスを見送りつつ、本日は歌のレッスンですよ。
****
先週から口内が腫れていて狭い。そのせいか声は掠れるし低音はでないし
今日ももったいないことになってしまった。
まず発声練習。
後ろに倒さないように、高い位置から斜め下に落とすように
と何度も注意されているので、それを意識して歌ってみた。
響きは高い位置に集まっていてそれは良いのだけど、
例えば高いところに三角定規があるとする。
その斜めの辺の上を下がって、一番細い先端が声の響くところとすれば、
縦の辺と同じ幅だけ後ろも開いているイメージで、と先生。
つまり後ろを大きく開けということなのね。
後ろも開くことを意識して歌うと、ぺらっとしていた声に
ちょっとだけ奥行がついた。
スタッカートの練習では、声は頬骨の上あたりで出ているけど
頬骨の内側で声が鳴っている。外側のもっと前で声を出すこと。
「今山に」(ドミソドソミド)は低い音の終わりかたが
無駄に力が入ってなくて綺麗に置けていると言われた、わーい。
額から声を出すことを意識したら、倒れにくくなったなあ。
でも、やっぱり低音は掠れる。そして声はペラい。
課題曲’O sole mio
歌い出しの位置が低い。
息を頭のあたりまで上げて、高い位置から歌い始めること。
na jurnata 'e sole のsoleは、leを伸ばしている間に音色が変わる。
soleは口の形を変えない。大きく開かない。
soもleも同じ位置で歌うこと。
低音の'na tempesta のstaの部分が倒れている。
sとtを抜いて、aだけで歌ってみると倒れない。
おそらく、staのsとtを発音しないといけない、と構えるから
そこだけ力が入って下がるのでは?と先生。
このstに悪戦苦闘。どうしてもここで意識してしまって
声が詰まってしまう。意識せず、とにかく高い位置で軽くを心がけること。
子音では、festaのfeで響きが下がる。
子音fと同じ、頬骨のあたりでeも歌うこと。
前半最後のChe bella cosa na jurnata 'e soleでは
cosaのsつまりzの音が上手く発音できなくて
ここでつまったようになってしまう。
なんどもzの音を練習して、aとくっつけて発声したけど
zの音のせいでどうしても喉の奥が狭くなってしまった。
aを歌うとき、上をしっかり開ける。
上顎の奥歯のあたりがぐっと上がるようなイメージで。
そして高音が続く後半。
cchiù bello, oje ne' のneでnは頬骨のあたりの
「鼻が詰まったときに詰まるところ」あたりから抜けるから
eも自然に同じ場所から抜くこと。
前回も上手く歌えなかった、sta' nfronte a teが
今日はなぜかfroでくぐもってしまう。
先生と二人でどうなっているか考えた結果、
froで舌を奥に巻き込んでいることが判明。
rで巻いた後、oを歌うときに舌を前に伸ばすと詰まらなくなった。
低音が下がって潰れてしまうので、低音は低いと考えず
全部高音を歌うように歌ってみることになった。
最初から高音と同じように上を開くことを意識したら
「開いている顏になってますね」と先生。
どんな顔やー(笑)
低音はしっかり開かなくても歌えてしまうので
どうしても狭くなってしまう。
高音と同じように歌った方が声が楽に出るので
しばらくはこの感じで歌うことになった。
この曲は、川が流れるように平坦に歌うよりも
波が打ち寄せるように動きをつけて歌う。
Ma un'atu soleは、Ma un'atuでジェットコースターが高いところまで登り
soleで一気に下るような、波がさっぷーんとなるようなイメージで。
このsoleと、続くcchiu bello, ohi ne’のne、次の'osole mioのmioは
この曲の中でキーとなる重要な音で、極端に強くしなくてもいいけど
アクセントをつけて歌うこと、と先生。
こうして波が動いているように歌うことで、聴いている人が
「歌い手はこの曲を歌っていて楽しいんだ」という印象を与える。
実際には楽しくないかもしれないけど、聴き手には楽しく聞こえる。
前にも教わった、テクニックを使うことで表現できる、ということね。
後半の盛り上がるところは、イタリア人の気分で明るく。
今日は後半の高音パートはまずまずだったけど、
前半の低い部分、とくに子音がものすごく難しい。
高音では波がざっぷーんだけど、低音の子音、ぜんぶ撃沈です。
低いと無意識にちゃんと発声しなきゃと思って力が入る。
上手く歌えたときは、どうやったのかをちゃんと自分で分析して
それを繰り返し練習すること。
この歌、鼻歌で歌うときは軽く声が出るのに
レッスンで歌おうとすると緊張するせいか、声が出にくい。
先生によると、この歌は緩く歌うのではなく
ある程度のテンションが必要なんだって。
聴いてる分には簡単そうなのに、実際歌ってみると
歌えないもんだなあ。はあ・・・。
2019年6月15日土曜日
いつのまにか今週も終わり
タイトル通りですわ。
ぼーっとしているうちにもう金曜日。
最近時間の流れが早く感じる。
年齢とともに、時間は加速していく。
指の間から、さらさらといろんなものが零れ落ちているような、
そして何かが零れ落ちるとともに、あらゆることに鈍感になっていく。
歳を取るとはこういうことね。鈍感になるからこそ耐えられることもある。
今週をざくっとまとめとく。
+なんでパンダ?
パンダグッズがいっぱいあってパンダ推しなので、
パンダがいるのかと思ったら、いたのはこれだった。
大概どこにでも一人で出かけて、何でも一人でやるのが好きだけど
これに一人で乗る勇気はなかったわ。
+意外にきつい勾配
浅草にいく度たび、狭い範囲にいろんなものが集まっているんだなあと感じる。
全然迷わないし、スイスイ歩ける。すぐに目的の場所に到着する。
ところが地図で確認するとかなりな広範囲を歩いていて、自分でも驚く。
全然疲れないので、狭いんだと勝手に思い込んでいただけだった。
大阪や京都の方が狭いはずなのに、歩いていてものすごくしんどい。
ほんの少しでも、凄い距離を歩いたような気がする。
どうしてかしらと考えて、勾配だと気付いた。
例えば京都なら、清水寺や高台寺といった有名寺院は全部東山の中腹にある。
街中から歩いてすぐだからあまり意識しないけど、
東大路をバスで北に向かっていて左手の祇園方面を見ると、
四条に向かって下り坂になっているのが分かる。
清水寺からは市内を見渡せるものね。
大阪も天満から東は凄い坂道だし、この勾配のきつさが
疲れ方と距離感の違いになるのかも。浅草は平たんなのね。だから楽。
うちから徒歩10分足らずの駅まで歩く方がまだしんどい。
と、ぼんやり考えながら駅まで歩いていてふと立ち止まった。
振り返ってみる。坂道だ。緩い坂道になってる。
うちのマンションのあるあたりは台地の上に乗っているので
この付近ではもっとも土地が高い。
だから駅まで行くのにも、逆方向の公園やスーパーに行くのにも
当然、勾配のある道を上り下りしていることになる。
分かりやすい急な坂でもないし、毎日のことだから意識したことはなかったけど、
足腰はきっちりその勾配を感じ取っていたのね。
これから歳を取るとともに、もっと歩くのが辛くなるんだろうなあ。
+やっぱりそうだった
前に、この植物は紫陽花っぽいけど何かしら?
と、書いたことがあるけど
やっぱり、紫陽花でした。
しかも、最近の暑さで枯れかかってる。
一番いいときを見逃してしまったわ。
紫陽花で斑の入っている葉っぱは珍しいね。
こじんまりとしたサイズだし、なんという種類の紫陽花かしら。
いつもは面倒で調べないんだけど、ググってみた。
斑入りガクアジサイというらしい。そのまんまや。
市の建物の裏口とフェンスの間にひっそりと植えられているので
多分気付かない人の方が多いと思うわ。
誰が見ていようがいまいが、花は勝手に咲く。
+ホモ・デウス
『サピエンス全史』を5月に読み終えていたので、
そうだ、続きの『ホモ・デウス』を買わなくちゃと思って
アマゾンで検索してみたら、あら、Kindle版が安い!
日本語版は上下巻あわせて4,104円。
英語版はハードカバーが2,629円
(ペーパーバックが12,642円て、なんぞ?)
それに対して英語のkindle版が650円ですよ。
即買いでしょ、これは!
Kindleは軽くてどこにでも持ち運び簡単、目も疲れないし
図表の多い本には向かないけどKindle版の本は安いこともあって、熱烈愛用中。
プライム会員だから会員限定セールの時には安くなるので
Kindle Fireも持っている。
なんといっても便利なのは、設定によって単語の意味を表示させられること。
ただ、この意味の説明表示がなんとも微妙で、
その単語はええねん、知りたいのは隣の単語の意味やねん!
と思うことしばしば。どういう基準で表示しているんだろう。
もうひとつ便利なのは、分からない単語を指でなぞると
辞書が立ち上がってくれて、すぐ意味が調べられること。
外国語の本を読むとき、1ページにつき分からない単語が
一個か二個程度出てくるぐらいが、自分のレベルにあった本だと言われる。
それ以上知らない単語出て来たら、その本は自分にはレベルが高すぎるので
もう少し易しいものを選んだ方が良いのだとか。
『サピエンス全史』も『ホモ・デウス』も、大学の講義をもとにしているので
英語は語り口調で分かりやすい。多分、高校卒業レベルの英語力で読めると思う。
ただ、歴史学や生物学の専門用語が頻繁に出てくるので
辞書で調べる必要がある。紙の本だと一旦読むのを止めたり
分からない単語をメモっておいて、辞書で調べ直さないといけないけど
Kindleなら読みながらすぐに調べられるから、ほんと便利。
便利なのは便利なのだけど、Kindleで読書している時には
もにゃもにゃするというか、なんか落ち着かないというか
不思議な違和感を感じるのね。内容が頭に入ってくる時の感覚が
紙の本のページをめくっている時と違う。
昔、翻訳の依頼はハードコピーが送られてくることが多かった。
そのハードコピー、つまり紙の元原稿を読んで、調べものして
訳文を紙の上で作って、それからワードなどの文書作成ソフトに打ち込んでいた。
やがて元原稿が電子ファイルになり、メールで送られてくるようになると
短納期になって、いちいち打ち直しという手間をかけている時間もないので
直接そのファイルに訳文を上書きするようになった。
調べものもネットで、辞書も原稿を作るのも何をするのも
全部パソコンの画面上でやるのが当たり前になって効率は上がったのだけど
やっぱり同じような違和感を感じた。上手く説明はできないけれど、
原稿を紙の上に書いて推敲していたときと何かが違う。
当時ライターだった姉や放送作家の友人も、同じことを言っていた。
パソコン上で直接キーボードをたたいて文書作成する時と
紙にペンで文章を書く時とでは、脳の使う場所が異なる
と、何かで読んだ。
なるほど、あの違和感は当然のことだったんだと腑に落ちた。
その時の感覚と似たものを、電子書籍を読んでいると感じる。
多分、これも脳の使っている場所が違うのかもしれない。
Kindleは便利だけど、やっぱり紙の本が好きだなあ。
紙の本を読んでいる時の方が、不思議と楽しさが増す。
+人類なんてクソ!
『サピエンス全史』の感想を簡単に。
毎朝通勤途中で読んで、落ち込んでいた。
何が落ち込んだかと言って、文明が発達して社会が便利になっても
個人の幸福の度合いはちっとも上がっていないから。
例えば農業革命がおこって生産高が急増することで
人類全体は飢えることもなく豊かになったけど
農業に従事する個人の負担は、採取生活をやっていたときよりも遥かに増えている。
全体の利益は必ずしも個人の幸福にはつながらないのね。
よく、人生は幸と不幸の釣り合いがちゃんと取れている
と言われるけど、子供の頃からお年寄りにこう聞かされるたび、
「それ、絶対ちゃうやろ!」と思っていたわ。
パイは個人個人にひとつづつ割り当てられているのではなく
人類全体にひとつのパイが割り当てられている。
そのパイをひとりでたくさん取ってしまう人たちがいたら、
当然パイの切れ端すら口に出来ない人が出てくる。
幸福とはそのパイ。絶対に全員に均等には配分されていない。
そこまででかいパイ、人類は作りだせてないよ!
作りだせたとしても、真っ先に自分の分を大量に確保する人たちがいたら
こっちまで回ってこないって。
子供の時から感じていたことを、はい、その通りですよーと言われてしまうと
さすがに凹むわ。人はこういう時に宗教に走るのね。
人類、クソ!人類、最低!もう滅びちまえ!
と感じた後味の悪い本でした。
+喉が荒れると気持ちも荒む
声がかすれたままで戻らない。
口内が荒れていて、ついに口内炎まで出来ちゃいました。
原因は分かっているけど、どうしようもないわ。
綺麗な声が出ないと、荒むわ。
こんなん自分の本当の声じゃない、これが定着してしまったらどうしよう
とも思うし、もうええわ、それで!と不貞腐れたり。
ビタミンB群飲んで寝る。
ぼーっとしているうちにもう金曜日。
最近時間の流れが早く感じる。
年齢とともに、時間は加速していく。
指の間から、さらさらといろんなものが零れ落ちているような、
そして何かが零れ落ちるとともに、あらゆることに鈍感になっていく。
歳を取るとはこういうことね。鈍感になるからこそ耐えられることもある。
今週をざくっとまとめとく。
+なんでパンダ?
パンダグッズがいっぱいあってパンダ推しなので、
パンダがいるのかと思ったら、いたのはこれだった。
大概どこにでも一人で出かけて、何でも一人でやるのが好きだけど
これに一人で乗る勇気はなかったわ。
+意外にきつい勾配
浅草にいく度たび、狭い範囲にいろんなものが集まっているんだなあと感じる。
全然迷わないし、スイスイ歩ける。すぐに目的の場所に到着する。
ところが地図で確認するとかなりな広範囲を歩いていて、自分でも驚く。
全然疲れないので、狭いんだと勝手に思い込んでいただけだった。
大阪や京都の方が狭いはずなのに、歩いていてものすごくしんどい。
ほんの少しでも、凄い距離を歩いたような気がする。
どうしてかしらと考えて、勾配だと気付いた。
例えば京都なら、清水寺や高台寺といった有名寺院は全部東山の中腹にある。
街中から歩いてすぐだからあまり意識しないけど、
東大路をバスで北に向かっていて左手の祇園方面を見ると、
四条に向かって下り坂になっているのが分かる。
清水寺からは市内を見渡せるものね。
大阪も天満から東は凄い坂道だし、この勾配のきつさが
疲れ方と距離感の違いになるのかも。浅草は平たんなのね。だから楽。
うちから徒歩10分足らずの駅まで歩く方がまだしんどい。
と、ぼんやり考えながら駅まで歩いていてふと立ち止まった。
振り返ってみる。坂道だ。緩い坂道になってる。
うちのマンションのあるあたりは台地の上に乗っているので
この付近ではもっとも土地が高い。
だから駅まで行くのにも、逆方向の公園やスーパーに行くのにも
当然、勾配のある道を上り下りしていることになる。
分かりやすい急な坂でもないし、毎日のことだから意識したことはなかったけど、
足腰はきっちりその勾配を感じ取っていたのね。
これから歳を取るとともに、もっと歩くのが辛くなるんだろうなあ。
+やっぱりそうだった
前に、この植物は紫陽花っぽいけど何かしら?
と、書いたことがあるけど
やっぱり、紫陽花でした。
しかも、最近の暑さで枯れかかってる。
一番いいときを見逃してしまったわ。
紫陽花で斑の入っている葉っぱは珍しいね。
こじんまりとしたサイズだし、なんという種類の紫陽花かしら。
いつもは面倒で調べないんだけど、ググってみた。
斑入りガクアジサイというらしい。そのまんまや。
市の建物の裏口とフェンスの間にひっそりと植えられているので
多分気付かない人の方が多いと思うわ。
誰が見ていようがいまいが、花は勝手に咲く。
+ホモ・デウス
『サピエンス全史』を5月に読み終えていたので、
そうだ、続きの『ホモ・デウス』を買わなくちゃと思って
アマゾンで検索してみたら、あら、Kindle版が安い!
日本語版は上下巻あわせて4,104円。
英語版はハードカバーが2,629円
(ペーパーバックが12,642円て、なんぞ?)
それに対して英語のkindle版が650円ですよ。
即買いでしょ、これは!
Kindleは軽くてどこにでも持ち運び簡単、目も疲れないし
図表の多い本には向かないけどKindle版の本は安いこともあって、熱烈愛用中。
プライム会員だから会員限定セールの時には安くなるので
Kindle Fireも持っている。
なんといっても便利なのは、設定によって単語の意味を表示させられること。
ただ、この意味の説明表示がなんとも微妙で、
その単語はええねん、知りたいのは隣の単語の意味やねん!
と思うことしばしば。どういう基準で表示しているんだろう。
もうひとつ便利なのは、分からない単語を指でなぞると
辞書が立ち上がってくれて、すぐ意味が調べられること。
外国語の本を読むとき、1ページにつき分からない単語が
一個か二個程度出てくるぐらいが、自分のレベルにあった本だと言われる。
それ以上知らない単語出て来たら、その本は自分にはレベルが高すぎるので
もう少し易しいものを選んだ方が良いのだとか。
『サピエンス全史』も『ホモ・デウス』も、大学の講義をもとにしているので
英語は語り口調で分かりやすい。多分、高校卒業レベルの英語力で読めると思う。
ただ、歴史学や生物学の専門用語が頻繁に出てくるので
辞書で調べる必要がある。紙の本だと一旦読むのを止めたり
分からない単語をメモっておいて、辞書で調べ直さないといけないけど
Kindleなら読みながらすぐに調べられるから、ほんと便利。
便利なのは便利なのだけど、Kindleで読書している時には
もにゃもにゃするというか、なんか落ち着かないというか
不思議な違和感を感じるのね。内容が頭に入ってくる時の感覚が
紙の本のページをめくっている時と違う。
昔、翻訳の依頼はハードコピーが送られてくることが多かった。
そのハードコピー、つまり紙の元原稿を読んで、調べものして
訳文を紙の上で作って、それからワードなどの文書作成ソフトに打ち込んでいた。
やがて元原稿が電子ファイルになり、メールで送られてくるようになると
短納期になって、いちいち打ち直しという手間をかけている時間もないので
直接そのファイルに訳文を上書きするようになった。
調べものもネットで、辞書も原稿を作るのも何をするのも
全部パソコンの画面上でやるのが当たり前になって効率は上がったのだけど
やっぱり同じような違和感を感じた。上手く説明はできないけれど、
原稿を紙の上に書いて推敲していたときと何かが違う。
当時ライターだった姉や放送作家の友人も、同じことを言っていた。
パソコン上で直接キーボードをたたいて文書作成する時と
紙にペンで文章を書く時とでは、脳の使う場所が異なる
と、何かで読んだ。
なるほど、あの違和感は当然のことだったんだと腑に落ちた。
その時の感覚と似たものを、電子書籍を読んでいると感じる。
多分、これも脳の使っている場所が違うのかもしれない。
Kindleは便利だけど、やっぱり紙の本が好きだなあ。
紙の本を読んでいる時の方が、不思議と楽しさが増す。
+人類なんてクソ!
『サピエンス全史』の感想を簡単に。
毎朝通勤途中で読んで、落ち込んでいた。
何が落ち込んだかと言って、文明が発達して社会が便利になっても
個人の幸福の度合いはちっとも上がっていないから。
例えば農業革命がおこって生産高が急増することで
人類全体は飢えることもなく豊かになったけど
農業に従事する個人の負担は、採取生活をやっていたときよりも遥かに増えている。
全体の利益は必ずしも個人の幸福にはつながらないのね。
よく、人生は幸と不幸の釣り合いがちゃんと取れている
と言われるけど、子供の頃からお年寄りにこう聞かされるたび、
「それ、絶対ちゃうやろ!」と思っていたわ。
パイは個人個人にひとつづつ割り当てられているのではなく
人類全体にひとつのパイが割り当てられている。
そのパイをひとりでたくさん取ってしまう人たちがいたら、
当然パイの切れ端すら口に出来ない人が出てくる。
幸福とはそのパイ。絶対に全員に均等には配分されていない。
そこまででかいパイ、人類は作りだせてないよ!
作りだせたとしても、真っ先に自分の分を大量に確保する人たちがいたら
こっちまで回ってこないって。
子供の時から感じていたことを、はい、その通りですよーと言われてしまうと
さすがに凹むわ。人はこういう時に宗教に走るのね。
人類、クソ!人類、最低!もう滅びちまえ!
と感じた後味の悪い本でした。
+喉が荒れると気持ちも荒む
声がかすれたままで戻らない。
口内が荒れていて、ついに口内炎まで出来ちゃいました。
原因は分かっているけど、どうしようもないわ。
綺麗な声が出ないと、荒むわ。
こんなん自分の本当の声じゃない、これが定着してしまったらどうしよう
とも思うし、もうええわ、それで!と不貞腐れたり。
ビタミンB群飲んで寝る。
2019年6月6日木曜日
だらんと「たれぱんだ」な歌のレッスン
大阪駅から歩いて福島まで向かっている途中
道路にキャンドルが並べてあった。
そうか、今日はキャンドルナイトの日なのね。
昼間は蒸し暑かったけど、夜になると風も出てきて涼しい。
たまには地上を歩くのもいいね。
今日は久し振りの歌のレッスン。
でも、先週から喉が荒れていて声がかすれている。
一年で一番喉が荒れる季節がきたわー、こまるわー。
今日の注意をメモメモ。
***
発声練習で、声帯が腫れていると先生に言われた。
普段はしない息漏れがしていたので、
声帯がはれてちゃんと合ってないんじゃないか、と。
そうなのか。しばらく喉を休めたほうがいいのかな。
痛みはないので、気をつけながら発声練習。
かなり慎重に歌っているので、響きは高いところに集まっているけど
もっとお腹を膨らませるように、と注意された。
歌う直前に脇腹と背中もパンパンに膨らませて、
歌うときにさらに横に広げるようにしながら
丁寧に上から音を置いていくように。
普通に歌っていると額のあたりの響いているところと
お腹が繋がっていない。額だけで歌っているように聞こえる。
お腹を膨らませておくことで、お腹から響いている場所まで
パイプが通っているように繋がりが出来るから、と。
こうやってしっかり声を支えないといけないのに
喉が荒れていて声が出にくい時は、つい忘れてしまうのよね。
課題曲 ’O sole mioを歌ってみる。
声がかすれるうえに出にくい。
特に低音は力を抜くと地声になってしまう。
上手く後ろに引けない。
かといって、力を入れると今度は声が出ない。
やっぱり前回と同じで、sta'nfronte a teの最後のteで
響きが下がって倒れてしまう。
'nfronte a teは全部同じ位置で歌うこと。
前回はなんとかひと息で歌えた、n'aria serena doppo~の箇所は
最後の低いtempestaのstaが声にならない。
ここのsは音程がないと考えて、sの子音を楽しむように歌うこと。
先生によると、イタリア語の歌は母音が多くて
基本的には日本語と同じような感じで歌うので
子音をそれほど重要視はしないのだけど、
ドイツ語の歌は子音の歌い方がとても大事になるそうな。
声が出にくいときは、ドイツ語のように子音をシュっと鳴らして
それを利用して同じ位置で次の音を発声する
という歌い方をやってみるのもひとつの方法なんだって。
続いて、Pe' ll'aria frescaのfre
やっぱりeの音が駄目みたい。ここのe(エ)は縦に上げるように歌う。
frescaのscaで音が下がるけど、響きは下げない。
前のfreと同じ場所で歌うこと。
この前半部分、今日は声がかすれていて出にくいこともあるので
物足りないだろうけど、発声練習のつもりで軽く歌ってください、と先生。
思っているよりも息はずっと少な目で大丈夫。
目のあたりから上に縦に細長い箱があるようにイメージして
その箱の幅に収まるように歌う。
この幅をはみ出して、「たれぱんだ」(先生、古いです)
のようにだらーんと横に広がると
声がかすれるところに入るので注意すること。
考えながら慎重に箱の幅に収めて、箱の上から声が出るように歌うと
かすれがましになった。
Ma n'atu soleからの後半高音部分は、発声練習で注意されたように
お腹を膨らまして横にさらに広げて歌うこと。
次のo sole mio Sta'nfronte a te!の部分
teは倒さない。前に立体的に。
最後の盛り上がる'O sole, 'o sole mioは
最初のsoleのleと次のo がくっついていてle'oになるのだけど
続くsoleのso がソォオレ、とsが日本語のソになっている。
しかもsが低くてoで上がっていて、soで一音になっていない。
以前にも注意されたけど、子音が先に出て母音がオンビートになるので
sは気持ち早めに発声して、音を下げないこと。
ここを何度も練習してみたけどなかなかうまくいかない。
ちょっとしたことなのに、ものすごく難しい。
ここまで細かいことは普段はあまり生徒さんには言わないし、
ちょっと高度なことになるのですが、と先生。
他の生徒さんはきっと、するっと難なく歌ってるんだわ。
あー、へこむ。
この部分を頑張りすぎると、次の低いSta'nfronte a te!の
teaがソなのに声にならない。
ここをどうやって発声すればいいのか質問すると
大事なのは次の高いte(レ)の方で、その前のソは軽くさらっと歌うんだと。
一番最後のSta'nfronte a teの「おしゃれバージョン」は
注意された通り、身体を思い切り膨らませる。
最後のteを下げない。高い位置で歌う。
何度か練習しているうちに、響く場所が定まってきましたね、と言われた。
縦に細長い箱をイメージすると、常におでこのあたりが響いている感じ。
慎重にこの場所で歌うと響きが下がらないのだけど
慎重になりすぎて、全然盛り上がらない歌になってしまった。
人間なので体調の悪い時があるのは当たり前だから
喉の調子が悪いときはそれをテクニックでカバーします。
段々技術が上がってきているので、カバーできるようになっていますよ
と先生はおっしゃるのだけど、考え過ぎても口の中が固まって駄目なのね。
****
これも気付いたことだけど、家で練習しているときには
普通に声が前に飛ぶのに、レッスンになると上手く出せない。
これはもしかして、頑張って喉を開いて歌わなきゃ!と思うあまり
余計な力が入っているからじゃないか、と
大阪駅のエキマルシェで半額になっていた
「ガバオとバッタイ弁当」 を食べながら考えた。
身体に無駄な力を入れず、どんなときでもリラックスして
自然にすっと声がでるようにするにはどうしたらいいんだろう?
何度も何度も練習して、自然に身体と口内が開くようにする以外ないんだろうけど。
それから、喉が荒れててレッスンの時にちゃんと歌えないのは
本当にもったいないと思った。
せっかく先生に来ていただいているのだから
練習の成果を聴いてもらえる状態にしておかないと
同じことの繰返しになってしまう。
もっと喉のケアもしないといけないなあ。
ぼさーっと歌ってるだけじゃ駄目だわ。
道路にキャンドルが並べてあった。
そうか、今日はキャンドルナイトの日なのね。
昼間は蒸し暑かったけど、夜になると風も出てきて涼しい。
たまには地上を歩くのもいいね。
今日は久し振りの歌のレッスン。
でも、先週から喉が荒れていて声がかすれている。
一年で一番喉が荒れる季節がきたわー、こまるわー。
今日の注意をメモメモ。
***
発声練習で、声帯が腫れていると先生に言われた。
普段はしない息漏れがしていたので、
声帯がはれてちゃんと合ってないんじゃないか、と。
そうなのか。しばらく喉を休めたほうがいいのかな。
痛みはないので、気をつけながら発声練習。
かなり慎重に歌っているので、響きは高いところに集まっているけど
もっとお腹を膨らませるように、と注意された。
歌う直前に脇腹と背中もパンパンに膨らませて、
歌うときにさらに横に広げるようにしながら
丁寧に上から音を置いていくように。
普通に歌っていると額のあたりの響いているところと
お腹が繋がっていない。額だけで歌っているように聞こえる。
お腹を膨らませておくことで、お腹から響いている場所まで
パイプが通っているように繋がりが出来るから、と。
こうやってしっかり声を支えないといけないのに
喉が荒れていて声が出にくい時は、つい忘れてしまうのよね。
課題曲 ’O sole mioを歌ってみる。
声がかすれるうえに出にくい。
特に低音は力を抜くと地声になってしまう。
上手く後ろに引けない。
かといって、力を入れると今度は声が出ない。
やっぱり前回と同じで、sta'nfronte a teの最後のteで
響きが下がって倒れてしまう。
'nfronte a teは全部同じ位置で歌うこと。
前回はなんとかひと息で歌えた、n'aria serena doppo~の箇所は
最後の低いtempestaのstaが声にならない。
ここのsは音程がないと考えて、sの子音を楽しむように歌うこと。
先生によると、イタリア語の歌は母音が多くて
基本的には日本語と同じような感じで歌うので
子音をそれほど重要視はしないのだけど、
ドイツ語の歌は子音の歌い方がとても大事になるそうな。
声が出にくいときは、ドイツ語のように子音をシュっと鳴らして
それを利用して同じ位置で次の音を発声する
という歌い方をやってみるのもひとつの方法なんだって。
続いて、Pe' ll'aria frescaのfre
やっぱりeの音が駄目みたい。ここのe(エ)は縦に上げるように歌う。
frescaのscaで音が下がるけど、響きは下げない。
前のfreと同じ場所で歌うこと。
この前半部分、今日は声がかすれていて出にくいこともあるので
物足りないだろうけど、発声練習のつもりで軽く歌ってください、と先生。
思っているよりも息はずっと少な目で大丈夫。
目のあたりから上に縦に細長い箱があるようにイメージして
その箱の幅に収まるように歌う。
この幅をはみ出して、「たれぱんだ」(先生、古いです)
のようにだらーんと横に広がると
声がかすれるところに入るので注意すること。
考えながら慎重に箱の幅に収めて、箱の上から声が出るように歌うと
かすれがましになった。
Ma n'atu soleからの後半高音部分は、発声練習で注意されたように
お腹を膨らまして横にさらに広げて歌うこと。
次のo sole mio Sta'nfronte a te!の部分
teは倒さない。前に立体的に。
最後の盛り上がる'O sole, 'o sole mioは
最初のsoleのleと次のo がくっついていてle'oになるのだけど
続くsoleのso がソォオレ、とsが日本語のソになっている。
しかもsが低くてoで上がっていて、soで一音になっていない。
以前にも注意されたけど、子音が先に出て母音がオンビートになるので
sは気持ち早めに発声して、音を下げないこと。
ここを何度も練習してみたけどなかなかうまくいかない。
ちょっとしたことなのに、ものすごく難しい。
ここまで細かいことは普段はあまり生徒さんには言わないし、
ちょっと高度なことになるのですが、と先生。
他の生徒さんはきっと、するっと難なく歌ってるんだわ。
あー、へこむ。
この部分を頑張りすぎると、次の低いSta'nfronte a te!の
teaがソなのに声にならない。
ここをどうやって発声すればいいのか質問すると
大事なのは次の高いte(レ)の方で、その前のソは軽くさらっと歌うんだと。
一番最後のSta'nfronte a teの「おしゃれバージョン」は
注意された通り、身体を思い切り膨らませる。
最後のteを下げない。高い位置で歌う。
何度か練習しているうちに、響く場所が定まってきましたね、と言われた。
縦に細長い箱をイメージすると、常におでこのあたりが響いている感じ。
慎重にこの場所で歌うと響きが下がらないのだけど
慎重になりすぎて、全然盛り上がらない歌になってしまった。
人間なので体調の悪い時があるのは当たり前だから
喉の調子が悪いときはそれをテクニックでカバーします。
段々技術が上がってきているので、カバーできるようになっていますよ
と先生はおっしゃるのだけど、考え過ぎても口の中が固まって駄目なのね。
****
これも気付いたことだけど、家で練習しているときには
普通に声が前に飛ぶのに、レッスンになると上手く出せない。
これはもしかして、頑張って喉を開いて歌わなきゃ!と思うあまり
余計な力が入っているからじゃないか、と
大阪駅のエキマルシェで半額になっていた
「ガバオとバッタイ弁当」 を食べながら考えた。
身体に無駄な力を入れず、どんなときでもリラックスして
自然にすっと声がでるようにするにはどうしたらいいんだろう?
何度も何度も練習して、自然に身体と口内が開くようにする以外ないんだろうけど。
それから、喉が荒れててレッスンの時にちゃんと歌えないのは
本当にもったいないと思った。
せっかく先生に来ていただいているのだから
練習の成果を聴いてもらえる状態にしておかないと
同じことの繰返しになってしまう。
もっと喉のケアもしないといけないなあ。
ぼさーっと歌ってるだけじゃ駄目だわ。
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