金曜の夜からなぜか扁桃腺が腫れてしんどい。
熱もないし咳も出ないのにどうしたことかしら。
先日前を通りかかった台湾甜商店さん。
三番街の店はいつも行列なのに、阪急高槻駅の店は意外と空いている。
豆花食べたーい!と思って行ってみた。
週末の夜だったのでちょっとだけ行列していましたが
ほとんどがテイクアウトでタピオカミルクティを買う人だったので
すぐに順番が回ってきました。
店の中はカウンター席、二人掛けテーブルが5~6個に
大きいテーブルが二つ。
頼んだのは芋圓杏仁豆花、860円也。
入っているのは、白いのが杏仁豆花、うすいピンクのが多分、タロ芋ソース
ソースゆうても半分固形ですわ。黄色が芋圓で、黒の粒粒が小豆っぽいけどタピオカ。
おちょこサイズのちっちゃいジャスミンティー付き。
黒蜜スムージーがかかっているというかその中に浮いているというか
全体的に黒糖っぽい仄かな甘み。豆花自体にはあんまり味が付いていません。
サイズがどんぶりの浅いやつ、というか煮物を入れる器ぐらい。
豆花以外は全部芋ですわね。タピオカも芋だし、芋のトリプル攻撃。
タロ芋ソースが美味しかった。芋圓はサツマイモ味ですね。
あまり濃くなくて優しい甘味なので、なんとなくローカロリーでヘルシー
と勘違いしそうですが、タピオカはかなり高カロリーだし
芋ということは、でんぷん質で、関西名物ダブル炭水化物ならぬ
台湾名物トリプルでんぷん質つまり炭水化物の三段攻撃で
血糖値爆上げですわ。
でも、ヘルシーと思っていればプラセボ効果でヘルシーになるような気もする。
信じることが大事ね。
タピオカの下に氷が入っていて、芋圓はほんのり温かくて
冷たいのか熱いのかどっちやねん!という感じですが
こういうふわっとした、和菓子に近いような甘さは結構好きかも。
店内には無料のお茶も用意してあって、ケーキセットとか食べるのに比べれば
お手頃ということになるのかなあ。と、思いつつ、つるつる食べていたのですけど
これ、量多い。多いというより、ものすごくお腹に溜まる!
食べ終わったあと、胃がぱんぱんで苦しい。そら、お芋やもんね。
これは、おやつというより食事ですわ。
カロリー的にも食事と考えた方がよさそう。
おいしいっちゃおいしいのだけど、ものすごーく美味しいかと言われれば
うーん、食事にしては味にパンチがない、おやつとしては量が多すぎ。
でも、なんかまた食べたい気分になってくる。
こんどは違うやつ頼んでみようと思ってる。
妙な中毒性があるなあ。
もらったリーフレットをうっとり眺めながら、明日も行ってこれ食べよう
とか思っている自分が怖いわ。恐るべし、台湾スイーツ。
2020年1月26日日曜日
2020年1月23日木曜日
今年初めての歌のレッスン
はあ、またJRが事故で大幅に遅れたよ。
神戸線の架橋に車が衝突したんですって。
電車の中で先生にメールで連絡して、10分遅れてレッスン開始。
そして、レッスンの日に限って喉の調子が悪くなるのは今年も同じね。
発声練習の時から、高音が全然出ない。
息が上がり切っていない、後ろが開いていないと言われた。
響いているところは高いのに、前半分で歌っていて声に奥行がない。
声は頬骨の上に乗せること。音が下がっても歌う位置は下げない。
低音は力を入れない。喉の奥に飲みこまない。
奥歯と奥歯の間のスペースをもっと開けるイメージで
声は後ろから前に出すように。
もういままで散々言われてきたことだわ。学習しないなあ。
低い音でポジションが下がるので、久しぶりに「にゃにゃにゃ」で
響きを眉間に集める練習。やっているうちになんとなく声が出るようになってきた。
課題曲 Piacer d'amor
あれほど練習した出だしの低音が出ませんわー。
喉が開いてくれない。後ろも硬いのが分かる。
どうしても最初の音で力が入ってしまう。
最初の音で力が入って低い位置で歌っている。息が多すぎる。
少ない息で細く、を意識すること。
最初の音より次のミ♭の方が大事。最初から頬骨の上の高い位置で
音の高低差を意識せずに柔らかく横に流すように歌うこと。
piaのアが後ろに倒れている。Piacerは一つのまとまりとして歌う。
低い音から次の高い音にあがったときに声の出し方が変わっている。
同じ出し方で、常に同じ位置で力を入れ過ぎずなめらかに。
Silvia in の前についている修飾音が上手く歌えない。
一度上なだけなのになんでこんなに取りにくいんだろう。
この音は額のあたりから針の先で当てるようなイメージでと言われたけど
上手くいかない。では左右に揺れているような感じでやってみて
と言われてやってみたら、うん、こっちの方がまだやりやすいかなあ。
私はエ母音とイ母音でポジションが下がって後ろに倒す癖がある。
声は全部前に。頬骨の上にティッシュの箱が入っているイメージで
(おお、久しぶりに出た、ティッシュの箱!)
頬骨から上に声を出すこと。鼻から下は無いものと考える。
空間は上に縦に開いていると思うこと。
ふー、今まで散々言われてきたことをまた注意されてしまった。
歌詞を覚えるのでいっぱいいっぱいだし、声は出ないしで
伸ばすところも早くなってしまうし、PPなのに息を強くし過ぎたり、
ブレスし忘れて息が足りなくなったり。
家でリズム読みの練習をしてくるようにと言われた。
これもなかなか細かいところに気を付けるまでにいかないなあ。
うんで、家に帰ったらなぜか喉の調子が良くなっているのも、いつも通り。
一日マスクしているのとしていないのとでは、喉の乾燥が全然違う。
この冬は比較的暖かいので、暖房をまだ使っていない。
この調子で夜はマスクして寝よう。
次のレッスンまでに喉の調子を整えておかなくちゃ。
神戸線の架橋に車が衝突したんですって。
電車の中で先生にメールで連絡して、10分遅れてレッスン開始。
そして、レッスンの日に限って喉の調子が悪くなるのは今年も同じね。
発声練習の時から、高音が全然出ない。
息が上がり切っていない、後ろが開いていないと言われた。
響いているところは高いのに、前半分で歌っていて声に奥行がない。
声は頬骨の上に乗せること。音が下がっても歌う位置は下げない。
低音は力を入れない。喉の奥に飲みこまない。
奥歯と奥歯の間のスペースをもっと開けるイメージで
声は後ろから前に出すように。
もういままで散々言われてきたことだわ。学習しないなあ。
低い音でポジションが下がるので、久しぶりに「にゃにゃにゃ」で
響きを眉間に集める練習。やっているうちになんとなく声が出るようになってきた。
課題曲 Piacer d'amor
あれほど練習した出だしの低音が出ませんわー。
喉が開いてくれない。後ろも硬いのが分かる。
どうしても最初の音で力が入ってしまう。
最初の音で力が入って低い位置で歌っている。息が多すぎる。
少ない息で細く、を意識すること。
最初の音より次のミ♭の方が大事。最初から頬骨の上の高い位置で
音の高低差を意識せずに柔らかく横に流すように歌うこと。
piaのアが後ろに倒れている。Piacerは一つのまとまりとして歌う。
低い音から次の高い音にあがったときに声の出し方が変わっている。
同じ出し方で、常に同じ位置で力を入れ過ぎずなめらかに。
Silvia in の前についている修飾音が上手く歌えない。
一度上なだけなのになんでこんなに取りにくいんだろう。
この音は額のあたりから針の先で当てるようなイメージでと言われたけど
上手くいかない。では左右に揺れているような感じでやってみて
と言われてやってみたら、うん、こっちの方がまだやりやすいかなあ。
私はエ母音とイ母音でポジションが下がって後ろに倒す癖がある。
声は全部前に。頬骨の上にティッシュの箱が入っているイメージで
(おお、久しぶりに出た、ティッシュの箱!)
頬骨から上に声を出すこと。鼻から下は無いものと考える。
空間は上に縦に開いていると思うこと。
ふー、今まで散々言われてきたことをまた注意されてしまった。
歌詞を覚えるのでいっぱいいっぱいだし、声は出ないしで
伸ばすところも早くなってしまうし、PPなのに息を強くし過ぎたり、
ブレスし忘れて息が足りなくなったり。
家でリズム読みの練習をしてくるようにと言われた。
これもなかなか細かいところに気を付けるまでにいかないなあ。
うんで、家に帰ったらなぜか喉の調子が良くなっているのも、いつも通り。
一日マスクしているのとしていないのとでは、喉の乾燥が全然違う。
この冬は比較的暖かいので、暖房をまだ使っていない。
この調子で夜はマスクして寝よう。
次のレッスンまでに喉の調子を整えておかなくちゃ。
2020年1月21日火曜日
AIの歌う歌に感動するか?
今日は久し振りに着物きてみた。
ポリエステエルの3000円くらいのやっすい着物に
セールで買った居内商店さんの綿名古屋、たびソックス。
普段家の中ではほぼ素足ですが、さすがに近頃寒いのでソックス履く。
スーパーに行く程度だから、履物は下駄。
私は下駄派。草履よりも下駄が好き。
着物ついでにもう一個。
普段用の帯締めは平組の物を使うことが多いのだけど
広島のお着楽舎さんという呉服屋さんのYoutubeで説明されている
熨斗目結びというのをやったら、要の根元がきっちり揃う。
これまでン十年やってきた締め方はいったいなんだったのー!!
と思うくらいに綺麗に仕上がる。目から鱗とはこのことね。
帯板を入れてないから帯がシワシワだ。帯は適当に引き抜きのお太鼓。
帯揚も帯枕もなし。上からカーディガンを羽織って隠れるからいいの。
普段の着物なんてこんなもんでええんよー。
****
一晩中、”Homo Deus"を読んでいたら、また眠れなくなってしまった。
夕べ読んだところで、うーんと考え込んでしまう内容があった。
AIがあらゆる職業にとって代わる、ということは散々言われていることだけど
ニッチで専門性の高いものほどAIに置き換えられるんだと。
木の実を採取したり狩りをやっていた人間の能力は広範囲で
そいういうのはAIには置き換えられない。また、そういうコストの安い労働を
やらせるために莫大な費用をかけて開発する企業はいない。
専門的であればあるほど、AIの方が正確にミスなく出来るし
AI化することで人件費も大幅に削減できる。
ならアートの世界なら人間しかできないだろう、と思うけど
AIが作曲した曲は素晴らしく完璧で、聴いた人間は感動する。
AIが作ったものだと言われなければ、人間が作ったものだと信じてしまうんですと。
もうそういうCDも発売されているんだとか。
これを読んで、ふと考えた。
歌の場合、確かにAIやボーカロイドの方が完璧に情感たっぷりに
歌える日が来るのかもしれない。でも、私は別に完璧だからと感動する訳じゃないのね。
生の歌を聴きにいくのは、歌い手の熱を感じるのが好きだから。
下手でも声がかすれていても、多少音程が外れていても
ああ、なんかすごくいいな!と思うことはあるわけで。
めちゃくちゃ上手い歌を聴いても、上手いなー、以上。と思うこともあるわけで。
歌い手の伝えようとする意志や、表現しようとする熱さがない歌は
すごくつまらなく感じてしまうのよね。それやったら初音ミクでええやん、と。
歌い手の声だけでなく、表情や身体の筋肉の動き、立ち姿
そういうもの全部が合わさっているのが生歌を聴く楽しみなのよね。
それでも、初音ミクを聞いて感動してライブにも行くという人もいるし
私も最近、ボーカロイドの緑咲澄香の声がすごくいいなと思ってほぼ毎日聴いてる。
コンピュータのアルゴリズムよりも人間がいい、AIでは置き換えられない
と思いつつも、自分で意識しないうちに徐々に慣らされて
そういうものに頼り切って、なくては生活できない状態にされているのかな。
AIが発達していくと、それを所有できる権力と富を持った一部のエリートと
AIに太刀打ちすることが出来ない大多数の役立たずな(useless)人間とに分かれて
格差がますます広がっていくという。
そんな時代は嫌だといいつつ、便利だからと知らずに取り入れて
気づいたらAIに支配されているような気がする。
はい、今からAI導入です、皆さん準備してください
みたいな分かりやすいもんではないだろうし。
私が現役でいる間はまだそんな日はこないと思うけど
この本を読んで、遠い未来のお話のような他人事ではなく
妙にリアルで背中がゾワゾワするのは、もうすでに身の回りでそうなりつつある
ということを無意識のうちに感じ取っているからかもしれないね。
ポリエステエルの3000円くらいのやっすい着物に
セールで買った居内商店さんの綿名古屋、たびソックス。
普段家の中ではほぼ素足ですが、さすがに近頃寒いのでソックス履く。
スーパーに行く程度だから、履物は下駄。
私は下駄派。草履よりも下駄が好き。
着物ついでにもう一個。
普段用の帯締めは平組の物を使うことが多いのだけど
広島のお着楽舎さんという呉服屋さんのYoutubeで説明されている
熨斗目結びというのをやったら、要の根元がきっちり揃う。
これまでン十年やってきた締め方はいったいなんだったのー!!
と思うくらいに綺麗に仕上がる。目から鱗とはこのことね。
帯板を入れてないから帯がシワシワだ。帯は適当に引き抜きのお太鼓。
帯揚も帯枕もなし。上からカーディガンを羽織って隠れるからいいの。
普段の着物なんてこんなもんでええんよー。
****
一晩中、”Homo Deus"を読んでいたら、また眠れなくなってしまった。
夕べ読んだところで、うーんと考え込んでしまう内容があった。
AIがあらゆる職業にとって代わる、ということは散々言われていることだけど
ニッチで専門性の高いものほどAIに置き換えられるんだと。
木の実を採取したり狩りをやっていた人間の能力は広範囲で
そいういうのはAIには置き換えられない。また、そういうコストの安い労働を
やらせるために莫大な費用をかけて開発する企業はいない。
専門的であればあるほど、AIの方が正確にミスなく出来るし
AI化することで人件費も大幅に削減できる。
ならアートの世界なら人間しかできないだろう、と思うけど
AIが作曲した曲は素晴らしく完璧で、聴いた人間は感動する。
AIが作ったものだと言われなければ、人間が作ったものだと信じてしまうんですと。
もうそういうCDも発売されているんだとか。
これを読んで、ふと考えた。
歌の場合、確かにAIやボーカロイドの方が完璧に情感たっぷりに
歌える日が来るのかもしれない。でも、私は別に完璧だからと感動する訳じゃないのね。
生の歌を聴きにいくのは、歌い手の熱を感じるのが好きだから。
下手でも声がかすれていても、多少音程が外れていても
ああ、なんかすごくいいな!と思うことはあるわけで。
めちゃくちゃ上手い歌を聴いても、上手いなー、以上。と思うこともあるわけで。
歌い手の伝えようとする意志や、表現しようとする熱さがない歌は
すごくつまらなく感じてしまうのよね。それやったら初音ミクでええやん、と。
歌い手の声だけでなく、表情や身体の筋肉の動き、立ち姿
そういうもの全部が合わさっているのが生歌を聴く楽しみなのよね。
それでも、初音ミクを聞いて感動してライブにも行くという人もいるし
私も最近、ボーカロイドの緑咲澄香の声がすごくいいなと思ってほぼ毎日聴いてる。
コンピュータのアルゴリズムよりも人間がいい、AIでは置き換えられない
と思いつつも、自分で意識しないうちに徐々に慣らされて
そういうものに頼り切って、なくては生活できない状態にされているのかな。
AIが発達していくと、それを所有できる権力と富を持った一部のエリートと
AIに太刀打ちすることが出来ない大多数の役立たずな(useless)人間とに分かれて
格差がますます広がっていくという。
そんな時代は嫌だといいつつ、便利だからと知らずに取り入れて
気づいたらAIに支配されているような気がする。
はい、今からAI導入です、皆さん準備してください
みたいな分かりやすいもんではないだろうし。
私が現役でいる間はまだそんな日はこないと思うけど
この本を読んで、遠い未来のお話のような他人事ではなく
妙にリアルで背中がゾワゾワするのは、もうすでに身の回りでそうなりつつある
ということを無意識のうちに感じ取っているからかもしれないね。
2020年1月20日月曜日
脳に言い聞かせる週末備忘録
タピオカミルクティー屋さんはもうどこにでもあるけど
駅前にまた新しい台湾系の店が出来ていた。
ここは確か、普通の喫茶店だったはず。
いつのまにか、人気の台湾スイーツ屋さん「台湾甜商店」に。
去年の11月にオープンしたんだって。全然知らなかった。
検索してみると、オープン当初は大行列だったらしいですが
今日はガラガラでしたよー。こんど豆花食べに行こう。
こっちは台湾の夜市で売っているような苺飴屋さん?
どこまで行く、台湾ブーム。
同じものでも値段が高いし、やっぱり台湾で食べたい。
と、いいつつ京都駅の構内でチーズティーを買ってしまった。
写真を撮り忘れたのでパンフレット。
近頃人気のmachi machiで一番ベーシックなテッカンノンチーズティーを飲んだ。
台湾のお茶アレンジといえば、3年ほど前に台湾に行ったときに
ガイドさんから、大学生の間で流行っていると教えてもらって
カフェで注文してみたのが、これ。上に乗っているのが生クリームだったのか
チーズクリームだったのか、忘れたわ。
お茶、薄い。量、多い。なんでこんなもん考えた?!と思うくらい
始末に困る味だったっけ。
これで懲りて、やっぱりお茶は普通の熱いお茶やー!と決めていたけど
好奇心に負けて買ってしまった。
お茶が濃くてちょっぴり塩味のチーズクリームともよく合って、意外といける。
でもタロイモトッピングを加えたら税込600円を超えるのが辛いところ。
お茶とケーキの代わりと考えれば安いのかなあ。
***
土曜日はずっと寝てた。
寝すぎて馬鹿になりそうだったので、キンドルで『Homo Deus』を読む。
キンドルの反応が悪くてイライラした。そろそろ新しいのに
買い換えたほうがいいんだろうか。
『サピエンス全史』に引き続き、これも鬱になりそうな内容。
もう人類なんて滅びた方がいいんじゃないかと思ってしまう。
年末からずーっとこれを読んでいたせいか、将来を悲観して落ち込み中。
全部読めたらそのうち感想を書くつもりだけど、落ち込みすぎて無理かも。
日曜日は午後から歌のワークショップで京都へ。
山中先生のワークショップ、大盛況で
高槻のクラスは50人を超えたんだとか。
高槻は合唱が盛んなところだもんね。
やっぱり京都にしておいてよかった。
今年からエクササイズの内容が少し変わって、
丹田を意識して胸を広げるということが分かりやすい。
何かを持ち上げるとき、よいしょっ!というけど、なぜよいしょというのか。
よいしょ!という言葉を発すると、お腹に力が入る。そこが丹田。
膝を軽く曲げてスクワットの姿勢でやってみると
胸は広がって、お腹に押し込むような力がかかる。
これが歌うときの正しいフォーム。
今日のポイントは、脳に言い聞かせること。
出来なくても、出来る出来る、これやって!と脳に語りかける。
そうやって語りかけながら練習していくと、脳と身体の回路が繋がって
出来なかったことができるようになる。
うーん、なんかポジティブでいいなあ。
これから毎日、私は出来る、私は大丈夫、私は無敵!
と脳に言い聞かせよう。
次のポイントは、吸い付き合う声帯。
くっ付け合うのではなく、吸いつくように。
力は働いているけど、力は入れていない。
両方の声帯が吸い付き合うようなイメージで歌うこと。
これってつまり、息漏れさせないってことかな?
歌は「浜千鳥」「冬景色」「早春賦」「心の窓にともしびを」の四曲。
浜千鳥は習ったことがあるけど、久しぶりに歌ったら声出ませんわー。
三拍子のリズムだけど、歌でこのリズムを刻まない。
荷物を横に運ぶように、ワンフレーズをなめらかに。
「冬景色」も、三拍子を刻まない。
サビの「声はして」の高音ミ#は音を投げない。
低いところからちゃんと準備しておくこと。
「早春賦」も声帯を吸いつかせるように合わせるイメージで。
「心の窓にともしびを」
暗い歌は暗く歌わない。そういう効果は作曲家が曲でやっている。
声は綺麗に響かせることで伝わる。声の出し方は変えない。
「心の窓にともしびを」と「ほら」は間にブレスを入れずに続ける。
「ほら」を小さく歌うことで、次の「えくぼが~」にスポットが当たる。
「ほら」を強く歌うと、自分にスポットが当たってしまう。
今日も勉強になったわ。楽しかった。
でも、ワークショップはいつも声が枯れてちゃんと歌えたことがない。くすん。
***
明日もポジティブかつ適当に生きる。
駅前にまた新しい台湾系の店が出来ていた。
ここは確か、普通の喫茶店だったはず。
いつのまにか、人気の台湾スイーツ屋さん「台湾甜商店」に。
去年の11月にオープンしたんだって。全然知らなかった。
検索してみると、オープン当初は大行列だったらしいですが
今日はガラガラでしたよー。こんど豆花食べに行こう。
こっちは台湾の夜市で売っているような苺飴屋さん?
どこまで行く、台湾ブーム。
同じものでも値段が高いし、やっぱり台湾で食べたい。
と、いいつつ京都駅の構内でチーズティーを買ってしまった。
写真を撮り忘れたのでパンフレット。
近頃人気のmachi machiで一番ベーシックなテッカンノンチーズティーを飲んだ。
台湾のお茶アレンジといえば、3年ほど前に台湾に行ったときに
ガイドさんから、大学生の間で流行っていると教えてもらって
カフェで注文してみたのが、これ。上に乗っているのが生クリームだったのか
チーズクリームだったのか、忘れたわ。
お茶、薄い。量、多い。なんでこんなもん考えた?!と思うくらい
始末に困る味だったっけ。
これで懲りて、やっぱりお茶は普通の熱いお茶やー!と決めていたけど
好奇心に負けて買ってしまった。
お茶が濃くてちょっぴり塩味のチーズクリームともよく合って、意外といける。
でもタロイモトッピングを加えたら税込600円を超えるのが辛いところ。
お茶とケーキの代わりと考えれば安いのかなあ。
***
土曜日はずっと寝てた。
寝すぎて馬鹿になりそうだったので、キンドルで『Homo Deus』を読む。
キンドルの反応が悪くてイライラした。そろそろ新しいのに
買い換えたほうがいいんだろうか。
『サピエンス全史』に引き続き、これも鬱になりそうな内容。
もう人類なんて滅びた方がいいんじゃないかと思ってしまう。
年末からずーっとこれを読んでいたせいか、将来を悲観して落ち込み中。
全部読めたらそのうち感想を書くつもりだけど、落ち込みすぎて無理かも。
日曜日は午後から歌のワークショップで京都へ。
山中先生のワークショップ、大盛況で
高槻のクラスは50人を超えたんだとか。
高槻は合唱が盛んなところだもんね。
やっぱり京都にしておいてよかった。
今年からエクササイズの内容が少し変わって、
丹田を意識して胸を広げるということが分かりやすい。
何かを持ち上げるとき、よいしょっ!というけど、なぜよいしょというのか。
よいしょ!という言葉を発すると、お腹に力が入る。そこが丹田。
膝を軽く曲げてスクワットの姿勢でやってみると
胸は広がって、お腹に押し込むような力がかかる。
これが歌うときの正しいフォーム。
今日のポイントは、脳に言い聞かせること。
出来なくても、出来る出来る、これやって!と脳に語りかける。
そうやって語りかけながら練習していくと、脳と身体の回路が繋がって
出来なかったことができるようになる。
うーん、なんかポジティブでいいなあ。
これから毎日、私は出来る、私は大丈夫、私は無敵!
と脳に言い聞かせよう。
次のポイントは、吸い付き合う声帯。
くっ付け合うのではなく、吸いつくように。
力は働いているけど、力は入れていない。
両方の声帯が吸い付き合うようなイメージで歌うこと。
これってつまり、息漏れさせないってことかな?
歌は「浜千鳥」「冬景色」「早春賦」「心の窓にともしびを」の四曲。
浜千鳥は習ったことがあるけど、久しぶりに歌ったら声出ませんわー。
三拍子のリズムだけど、歌でこのリズムを刻まない。
荷物を横に運ぶように、ワンフレーズをなめらかに。
「冬景色」も、三拍子を刻まない。
サビの「声はして」の高音ミ#は音を投げない。
低いところからちゃんと準備しておくこと。
「早春賦」も声帯を吸いつかせるように合わせるイメージで。
「心の窓にともしびを」
暗い歌は暗く歌わない。そういう効果は作曲家が曲でやっている。
声は綺麗に響かせることで伝わる。声の出し方は変えない。
「心の窓にともしびを」と「ほら」は間にブレスを入れずに続ける。
「ほら」を小さく歌うことで、次の「えくぼが~」にスポットが当たる。
「ほら」を強く歌うと、自分にスポットが当たってしまう。
今日も勉強になったわ。楽しかった。
でも、ワークショップはいつも声が枯れてちゃんと歌えたことがない。くすん。
***
明日もポジティブかつ適当に生きる。
2020年1月13日月曜日
新年の抱負という訳でもないけど
気が付いたらもう松の内を過ぎていたわ。
年末ぎりぎりまで仕事がめちゃくちゃ忙しくて
最終日には上司と言い争いまでしてしまって
美しく一年を締めることができなかったじゃないか。
なんでぎりぎりになって大事なことを言うかなあ。
プリンターが壊れたので年末にせっせと手書きで年賀状を書き
実家に帰っておせち料理の手伝いをし、お正月は少し車に乗る練習もした。
親の歳も歳だし、何かあったときにすぐにレンタカーで帰れるようにしておきたい。
父は手術後元気にはしているけど、やっぱり弱ったという感じ。
なんかボケて来たかなあ。年齢のせいもあるけど。
その分母がなんか元気だったわ。
新年早々に知り合いの方からお電話を頂いた。
仕事で知り合って、毎年年賀状の交換をしていたのだけど
もう歳で書くのがしんどいので電話でごめんね、と。
出会ったときは72歳で、ものすごく元気で活動的な方だったけど
今年で85歳。やっぱり身体が効かなくなったわとおっしゃっていた。
もうそんな御年になられたのか。あちらが歳を取られるということは
こっちも同じように歳を取ったということで。
えーっと、ちょっと待て。その時一緒に働いていた25歳の子は
もう40くらい?まだ結婚していないよね。
仕事に趣味にと毎日楽しいです!という年賀状が来ていたけど
いや、結婚相手も見つけようよ、と独身のくせに思うおばさんである。
一ヶ月以上何も書かずに放置していたのね。
仕事も忙しかったし、いろいろ考えることもあってまとまらなかった。
本当は去年の有象無象を去年のうちに整理しておきたかったのだけど
仕方ない。今からやるわ。やらないよりまし。
これが済むまで新年じゃないような気がするし。
*猿山に住んでんとちゃうわ!
マウント取るのが好きな人に、久しぶりに出会ったわ。
なんでそんなにエラそうなんだろうね。
あなた私より年下だし、仕事の経験年数も私の三分の一以下だし
そもそもGoogle先生がいないと、アカデミックレベルの英文を
読み書きすることも無理でしょう?
Googleさんを使うことについては別にいいと思う。
使いようによっては効率上がるし。でも、Googleさんがないと
文章を組み立てられないことを、恥ずかしいと思ってないのがすごいわ。
それどころか、受動態の動詞は過去分詞型だということも分かってないやん。
それ、高校生以下やん。
一方的に偉そうにあれやってこれやってと命令するのはまあいいよ。
でも翻訳について、そんな必要はない、そこまでしなくていい、とか
内容について勉強する必要ない、そんなの翻訳者の仕事じゃない、って
偉そうに言い切るか。そもそもあなた翻訳者を名乗ったらあかんレベルやろ。
基本的な構文も理解していないのに、誤魔化すのはものすごく上手い。
私が言った言葉を使って人前で大声で説教するのはいったいなんなんだ?
出来ないなら出来ないで、おとなしくGoogle翻訳をコピペしとけよ。
私は猿山に住んでるんじゃないわ。マウント取りたかったら
嵐山でも箕面でも好きなとこ行け。
*つまらんもんですわ
年末に歌のワークショップにいった。
ちょうど小学生のお子さんが参加されていたこともあって
先生が表現についてお話された。
歌うときはお客さんに歌の描く風景を見せなければならないけど
お客さんにそう聴こえればいいということ。
歌っていると、歌の世界に浸っているかのように思われるけど
実際は全然違うことを考えている。 要はそう聴こえるように歌う技術なんです、と。
これは私の先生もおっしゃったことがあって、歌っているときは
次のフレーズをどうするか、ここで開いてここでコンパクトに集めて
ここでブレスすることで溜めの効果を作って、と常に頭を回転させている、と。
そしてそれを自然に出来るようになるまで、繰返し繰返し練習すること。
で、ワークショップの先生がおっしゃったのよ。
つまらんもんですわ、ほんまにつまらんもんですわ、って。
この言葉にものすごい衝撃を受けた。あまりの衝撃に泣きそうになった。
音楽家を目指して勉強して、30年近く歌っているプロのオペラ歌手が
つまらんもんですわ、って。
それが、30年近くやってきて、今頃になって「ああこの仕事つまらない、嫌いだ」
と気づいた自分と重なってしまったから。
つまらないと気付いても、もう今更別の道を選べない。
だからやるしかないのよね。
それでも、お客さんが「良かった、素晴らしかった」と言ってくだされば
喜んでもらえたんだ、良かったなあと思う、と。
そうなんだよね、喜んでもらえたり評価されたりすると
ああ、良かったなあ、と思うんだよね。なんか自分の人生が報われたような。
*歌に酔いたい
その先生のミニコンサートに行って、一番前でお腹を観察した。
ブレスの時に脇までぱーんと膨らむのを見て、おおっ、と思ったり。
先生より上手い歌手はたくさんいるのだけど、何か分からないけど
この先生の歌がすごく好き。まず声がいい。力のある高音もいい。
素人が僭越ながら、あ、ここの音の下がるとこ難しいなあ、という箇所で
ミスされたりして、こんなベテランでもミスすることあるのかあ、と思ったり
それでもなんかいいんだよなあ。
そのコンサートのMCで、先生が、自分は歌が下手だとおっしゃった。
ずっと下手だと思っていたし、下手だと言われてきたし
本当にこんなんでいいのか?と思っていた、と。
でもピアノ伴奏の方から、あんたの歌がええのよ、歌ったらええのよ
と言われて、そうかなあと思いながら歌っているって。
前日のミニコンサートで喉の調子が悪くて、携帯用吸入器で保湿しながら
それでも力強い歌。最後の曲は会場の一番後ろで歌われて
わあー、声が後ろから飛んでくる、耳元で響いている!
そのとき、この先生の歌が好きなのはこの必死さというか
伝えよう、表現しようという熱さがあるからだと思った。
歌の世界をお客さんに見せなければいけない、という意志が
声に乗っているというのかなあ。
上手いからと言ってその人の歌が良いとは限らない。
私は胸に迫ってくるような歌が聴きたいんだ、そういう歌に酔いたいんだ
と改めて思った。
素人が偉そうだな。でもお金払って聴きに行く客の大部分は素人だから。
とにかく、自分も嫌でもちゃんと仕事をしなくちゃいけない。
プロフェッショナルな仕事をするために、もっと勉強して工夫して
必死にもがかなければいけないんだと改めて思った。
それから、吸入器も買おうと思ったわー(まだ買ってないけど)
*愛のよろこびは
愛のよろこび、それは一瞬の輝き。愛の苦しみ、それは一生の痛み。
目下の課題曲はPiacer d'amorです。
「献呈」でドイツ語に懲りたので、再びイタリア語の曲に戻った。
この曲は以前に候補曲として先生から楽譜を頂いていたのだけど
音大出身の友達に、イタリア歌曲やれ!イタリア歌曲!
と言われていたこともあってYoutubeで聴いてみたら
ありゃ?これは子供の頃にピアノの練習曲で弾いたことがあるぞ、と気づいた。
懐かしくて、やりたいでーす、とまた後先考えずに言ってしまったわ。
低音の練習用に選んでもらっただけあって、最初のシ♭が出ませんわー。
なんでこれが出ないんだろう。出る時はするっと出るのだけど
出ないときと何が違うんだろう。
先生は、低音は息を少なく力を入れ過ぎずとおっしゃるのだけど
いつも引っかかるなあ。喉が開いてないと引っかかるから
無意識に力が入っているのかも。
「献呈」のFriedenと下がるところもシなんだけど
こっちは胸声に落としていいと言われた。
でも素早くチェストに落とすことが、技術がなくて無理なのね。
落とせてもまたヘッドにつながらない。うーん。
と、悩みながら練習していて、歌詞の発音が大事なんだと気付いた。
これも以前に先生がおっしゃた、出し難いときは子音を利用する、というやつ。
出だしのPiarでちゃんと唇を閉じてPの破裂音を作ってからイ母音につなげると
引っかからずに出た! 次のフレーズの同じ音から始まるmartir d'amorも
m を作ってからア母音を歌うと普通に出た!
結局、歌詞をきちんと覚えろってことか???
この曲、高音はそれほど高くないのでこの出だし以外は普通に声が出るのだけど
どうも支えられない。全体的にふにゃーとなってしまう。
力加減がよく分からないというのかなあ。これも結構時間がかかりそうだなあ。
*台湾に行きたい。
1月に台湾に行こうと思って、Youtubeで台湾旅行Vlogを観ていたら
もう行きたくて行きたくてたまらなくなった。
弾丸ツアーで日帰りしようかなあ、でも深夜便だし、関空遠いし
とぐずぐずしているうちに、一月の弾丸フライトが取れなかった。くすん。
今年は妹を無理やり連れて行く。その前に一人で一回行っとく。
*コンサート、楽しみ
2月と3月はコンサート。これを楽しみに生きるわ。
オペラー!二月に関西二期会のオペラ「道化師」。山中先生が主役!
もうめっちゃ楽しみ!
なので楽団さんの善通寺市公演には行けません。
3月はピアノコンサート!人気Youtuberピアニスト、フォルテ君の大阪コンサート。
チケット取れたよー!楽しみ、わくわく。
なので楽団さんの石川公演には行きません。
なんか優先順位下がってるなあ。だってだってだって
どの歌聴いても同じに聴こえるんだもーん、って、あー、ゆうてしもたー。
お客さんがペンライトを振りはじめたらそれを観に行くわ。
ここまで書いていて疲れた。
なんかもうどうでもよくなってきた。
今年も適当に生きよう。台湾には、行く。
2019年11月10日日曜日
違う場所に行く
腰が痛くて曲がらない。
土曜日は千林の着物イベントに行こうと誘われていたのだけど断念、
腰痛コルセットして着物きて帯締めて、家でちーんと座ったまますごしましたとさ。
おとなしくしていたせいか、腰の具合がだいぶ良くなってきた。
日曜日は京都で山中先生のワークショップに参加。
自分の先生から、大声で歌わなくてもいいと注意されているのだけど
ワークショップは合唱をやっていらっしゃる方が多くて
わりと大き目の声ではっきり歌われるので、つい自分も声を張り上げてしまう。
その結果、バリバリかすれた声になるのよね。
注意されたことをすぐ忘れるわー。
今日のワークショップでも興味深いお話が聞けた。
歌うと言うことは相手に向かって呼びかけることだから
30メートル先の相手に届くように声をだすこと。
お腹を膨らましたままで歌うこと。つまり支え。
歌もスポーツと同じ、心、技、体が揃っていなくてはいけないので
まずは歌える身体を作ること。丹田を意識した生活をすること。
歌うとき、どうしても技術のことばかり考えてしまうが、
心がないと伝わらない。
歌には必ず訴えたいことと、訴えたい相手がいる。
何をどうやって相手に伝えたいのか考える。
音色(ねいろ)で表現すること。
ふむふむ、どうしても、どうやって声をだすか
ばかりに気を取られて、何をどう伝えるかはお留守になるのよね。
今日一番ささった言葉。
上手くなりたい、というのはどういうことなのか。
人によっていろいろとレベルは違うだろうが
上手くなりたいと思って練習をし、出来るようになると
今いる場所とは違う場所に行ったことになる。
今の自分とは違う自分になったことになる。
上手くなるとは、今と違う場所に移動していくということ。
確かに、「初恋」の低音に四苦八苦していた自分と
普通に歌えるようになった自分は、別の自分だ。
歌えるまで、毎日毎日練習して、身体に覚えさせた。
そこで止まってしまうのが私の情けないところだけど
出るようになったら、今度はどんな風に歌うか、
どうやって歌詞の世界を表現するかを考えないといけないんだよね。
そしてそのとき見る風景は、出来なかった時とはまた別のはずだ。
山中先生は面白おかしく笑いを取りながらお話されるのだけど
その話についうるっとなってしまうことが多い。
前回の「里の秋」の解説でも、南方に出征した父親の帰りを待つ
母と子の心情を歌で描き出さなければいけないと説明されて
ええっ、「里の秋」ってこんなに深い内容だったのか、と驚いた。
この歌の「父さん」は徴兵されて戦地に行っているとは習ったけど
待っている母と子がどんな思いで栗の実を煮ているのかなんて
ぜんぜん考えたことがなかったわ。
この曲は確か、小学校5年生の時に合唱をやって
私はピアノ伴奏したので、ピアノの練習ばっかりやってた記憶がある。
不安で不安でたまらないのに、それを隠してけなげに生活する母子。
幼い子はお父さんがいなくてさびしくてたまらないのに
さびしいと言うと、ぎりぎりで我慢して耐えているお母さんが
泣きだしてしまうかもしれない、それを分かっているので口にしない。
そうやって、お互いを思いやって暮らす母子の姿が思い浮かんで思わず涙が出た。
これを歌で表現しないといけないのか、あー、絶対無理です。
先生のお話を聞きながら、なぜ自分は上手くなりたいと思うのかと考えた。
別に人に聴かせるつもりもないし、プロを目指しているわけでもない。
でも、上手くなりたいのは、なぜか。
それは、自由になりたいから。
自分の声を自在に操って世界を表現できるということは、
自由を獲得することだと思うから。
自由に、どこか違う場所に行って、違う風景を見ることができる、と思うから。
そうだ、どこか違う場所に行きたいから。
いまここでずっと留まっていたくないからだ。
思えばずっと、子供の頃からずっと、ここではないどこかに行きたいと思っていた。
それがどこか分からないけど、どこかにきっとその場所がある。
なんだか、歌を習おうと決めたときのことを思い出して
またうるっとなってしまった。
***
おばちゃんの物思いは、短い。
帰りにいい呑み屋見つけて、入っちゃいましたー。
天然ぶりのお刺身、美味しゅうございました。
土曜日は千林の着物イベントに行こうと誘われていたのだけど断念、
腰痛コルセットして着物きて帯締めて、家でちーんと座ったまますごしましたとさ。
おとなしくしていたせいか、腰の具合がだいぶ良くなってきた。
日曜日は京都で山中先生のワークショップに参加。
自分の先生から、大声で歌わなくてもいいと注意されているのだけど
ワークショップは合唱をやっていらっしゃる方が多くて
わりと大き目の声ではっきり歌われるので、つい自分も声を張り上げてしまう。
その結果、バリバリかすれた声になるのよね。
注意されたことをすぐ忘れるわー。
今日のワークショップでも興味深いお話が聞けた。
歌うと言うことは相手に向かって呼びかけることだから
30メートル先の相手に届くように声をだすこと。
お腹を膨らましたままで歌うこと。つまり支え。
歌もスポーツと同じ、心、技、体が揃っていなくてはいけないので
まずは歌える身体を作ること。丹田を意識した生活をすること。
歌うとき、どうしても技術のことばかり考えてしまうが、
心がないと伝わらない。
歌には必ず訴えたいことと、訴えたい相手がいる。
何をどうやって相手に伝えたいのか考える。
音色(ねいろ)で表現すること。
ふむふむ、どうしても、どうやって声をだすか
ばかりに気を取られて、何をどう伝えるかはお留守になるのよね。
今日一番ささった言葉。
上手くなりたい、というのはどういうことなのか。
人によっていろいろとレベルは違うだろうが
上手くなりたいと思って練習をし、出来るようになると
今いる場所とは違う場所に行ったことになる。
今の自分とは違う自分になったことになる。
上手くなるとは、今と違う場所に移動していくということ。
確かに、「初恋」の低音に四苦八苦していた自分と
普通に歌えるようになった自分は、別の自分だ。
歌えるまで、毎日毎日練習して、身体に覚えさせた。
そこで止まってしまうのが私の情けないところだけど
出るようになったら、今度はどんな風に歌うか、
どうやって歌詞の世界を表現するかを考えないといけないんだよね。
そしてそのとき見る風景は、出来なかった時とはまた別のはずだ。
山中先生は面白おかしく笑いを取りながらお話されるのだけど
その話についうるっとなってしまうことが多い。
前回の「里の秋」の解説でも、南方に出征した父親の帰りを待つ
母と子の心情を歌で描き出さなければいけないと説明されて
ええっ、「里の秋」ってこんなに深い内容だったのか、と驚いた。
この歌の「父さん」は徴兵されて戦地に行っているとは習ったけど
待っている母と子がどんな思いで栗の実を煮ているのかなんて
ぜんぜん考えたことがなかったわ。
この曲は確か、小学校5年生の時に合唱をやって
私はピアノ伴奏したので、ピアノの練習ばっかりやってた記憶がある。
不安で不安でたまらないのに、それを隠してけなげに生活する母子。
幼い子はお父さんがいなくてさびしくてたまらないのに
さびしいと言うと、ぎりぎりで我慢して耐えているお母さんが
泣きだしてしまうかもしれない、それを分かっているので口にしない。
そうやって、お互いを思いやって暮らす母子の姿が思い浮かんで思わず涙が出た。
これを歌で表現しないといけないのか、あー、絶対無理です。
先生のお話を聞きながら、なぜ自分は上手くなりたいと思うのかと考えた。
別に人に聴かせるつもりもないし、プロを目指しているわけでもない。
でも、上手くなりたいのは、なぜか。
それは、自由になりたいから。
自分の声を自在に操って世界を表現できるということは、
自由を獲得することだと思うから。
自由に、どこか違う場所に行って、違う風景を見ることができる、と思うから。
そうだ、どこか違う場所に行きたいから。
いまここでずっと留まっていたくないからだ。
思えばずっと、子供の頃からずっと、ここではないどこかに行きたいと思っていた。
それがどこか分からないけど、どこかにきっとその場所がある。
なんだか、歌を習おうと決めたときのことを思い出して
またうるっとなってしまった。
***
おばちゃんの物思いは、短い。
帰りにいい呑み屋見つけて、入っちゃいましたー。
天然ぶりのお刺身、美味しゅうございました。
2019年11月8日金曜日
誰にも捧げられない「献呈」
秋らしくなりましたね。朝夕は冷えて、日中は気持ちの良い気候。
仕事が終わったあと、ビルの中空にあるお庭に出てみたら
風に揺れるすすき。すっかり秋だわー。
と思っていたら、え?クリスマスツリー?
まだ11月だよ。
ぼーっとしている間に冬が来るんだろうなあ。
ついこの前まで、桜のジャージを着ていたくまちゃんも
マフラーを巻いて冬支度です。噴水が寒々しい。
一年ってほんとうにあっと言う間ね。
ここ数週間、いろんなことがあったけど
体調最悪のうえに仕事は激忙しい状態で、備忘録もサボり気味。
山中先生のワークショップや崑曲のワークショップに行ったり、
森麻季さんのリサイタルや、山中先生のカンツォーネのコンサートに行ったりと
いろいろ出かけて、なんやかやと思うところもあったけど
書いていて纏まらなくて途中で放置している。
来週は京都でワークショップ。再来週はオラトリオ・ヤマトタケル。
12月1日は友達が参加している「1万人の第九」があるけど行けるかな?
東京大衆歌謡楽団は、来年まで聴かないと決めている。
こっちもちょっと思う所あって。
そう言いつつ年内に一回くらいは聴きに行くかも。いや、行かない。
今日は歌のレッスンの日。
過去二回分はメモったけど、喉の調子が悪いのと
同じところを繰返し注意されているので、まとめるよりも練習練習。
だがしかし、今日も結局、喉の調子が悪くてかさかさ声だった。
前回もそうだったけど、口の中にくしゃくしゃの銀紙が入っているみたい。
響きが散らばって真ん中に集まってくれない。
今日とくに注意されたのは、「イ」母音。
横に広げず口を縦に開けること。
それから、響きが奥まっている。
声が出にくかったこともあったけど、奥まで開けていても響きはもっと前。
ドイツ語は母音が深いので、どうしても声が奥まってしまうけど
子音は前で作ること。
これは、職場のドイツ在住が長かったピアニストの人にも同じことを言われてた。
それから、ドイツ語の発音を作るには口周りの筋肉が弱いって。
声が出にくくてぺちゃっと潰れてしまう。
出にくくても掠れず通る場所を探すこと。
頬骨の上あたり、ちょうど鼻腔のあたりで振動しているところを縦に抜くこと。
広く開けて、響きは真ん中の高い位置でコンパクトにまとめる。
出にくかったら、自分が筒の中に入っていて声を縦に響かせるイメージで。
一番低いFriedenのFrieで、FとRiを分けて歌っている。
奥まらずにもっと前でFrieを一緒に発音する。軽く。
そのままのポジションでdenも縦に軽く。力を入れ過ぎない。
高い位置、前、軽く、に気を付けて歌ってみると
声はかさかさだけど、響きを下げずに歌えるようになった。ふー、やれやれ。
自分が思っているよりも、もっと前で歌えばいいのね。
歌詞、メロディ、リズムも取れるようになったので
ひとまず「献呈」は今回で終了。長かったー。
ドイツ語の発音が難しすぎて、子音の発音にこだわり過ぎて
母音をどう発声するかまで気を付ける余裕がなかったわ。
これは家でちゃんと歌えるように練習しなきゃ。
こんなお粗末さでは、この曲、誰にも捧げられないわ。
次の曲をどうするか、ということになって
「ドイツ語はもういいです」と言ってしまった。
いやー、懲りたわ。ちょっと自分でハードル上げ過ぎて
ハードルというより棒高跳びになってしまった。
次はイタリア語か日本語の曲にしよう。
以前楽譜を頂いていた、Piacer d'amorにする。
この曲は、低音の練習のために先生がピックアップしてくださっていたものだけど
この前Youtubeで聴いてみて、子供の頃にピアノの練習曲で弾いたことを思い出した。
音大出身の友達にも、イタリア語の曲やれ!と言われていたことだし
出だしのシ♭で苦労しそうだけど、これをやることにする。
最初の部分だけをラで歌ってみる。
出だしのシ♭は、力を入れ過ぎず上の方でふわりと歌うこと。
ブレスの位置に気を付けること。
次のレッスンまでに音取りをしてくることになった。
先生がお忙しくてレッスンまで二週間空くので
その間にしっかり譜読みして、歌詞とメロディを覚えなくちゃ。
出来たと思ったらまた出来なくなったり(まぐれだったのかー)
出来ない出ない、と思っていたら突然出来るようになったり
なかなか上達しないけど、地道に練習するわ。
考えてみたら、あれだけ苦しんだ「初恋」の出だしの低音も
いつの間にか普通に出せるようになってたし。
進歩していると信じて頑張る。
仕事が終わったあと、ビルの中空にあるお庭に出てみたら
風に揺れるすすき。すっかり秋だわー。
と思っていたら、え?クリスマスツリー?
まだ11月だよ。
ぼーっとしている間に冬が来るんだろうなあ。
ついこの前まで、桜のジャージを着ていたくまちゃんも
マフラーを巻いて冬支度です。噴水が寒々しい。
一年ってほんとうにあっと言う間ね。
ここ数週間、いろんなことがあったけど
体調最悪のうえに仕事は激忙しい状態で、備忘録もサボり気味。
山中先生のワークショップや崑曲のワークショップに行ったり、
森麻季さんのリサイタルや、山中先生のカンツォーネのコンサートに行ったりと
いろいろ出かけて、なんやかやと思うところもあったけど
書いていて纏まらなくて途中で放置している。
来週は京都でワークショップ。再来週はオラトリオ・ヤマトタケル。
12月1日は友達が参加している「1万人の第九」があるけど行けるかな?
東京大衆歌謡楽団は、来年まで聴かないと決めている。
こっちもちょっと思う所あって。
そう言いつつ年内に一回くらいは聴きに行くかも。いや、行かない。
今日は歌のレッスンの日。
過去二回分はメモったけど、喉の調子が悪いのと
同じところを繰返し注意されているので、まとめるよりも練習練習。
だがしかし、今日も結局、喉の調子が悪くてかさかさ声だった。
前回もそうだったけど、口の中にくしゃくしゃの銀紙が入っているみたい。
響きが散らばって真ん中に集まってくれない。
今日とくに注意されたのは、「イ」母音。
横に広げず口を縦に開けること。
それから、響きが奥まっている。
声が出にくかったこともあったけど、奥まで開けていても響きはもっと前。
ドイツ語は母音が深いので、どうしても声が奥まってしまうけど
子音は前で作ること。
これは、職場のドイツ在住が長かったピアニストの人にも同じことを言われてた。
それから、ドイツ語の発音を作るには口周りの筋肉が弱いって。
声が出にくくてぺちゃっと潰れてしまう。
出にくくても掠れず通る場所を探すこと。
頬骨の上あたり、ちょうど鼻腔のあたりで振動しているところを縦に抜くこと。
広く開けて、響きは真ん中の高い位置でコンパクトにまとめる。
出にくかったら、自分が筒の中に入っていて声を縦に響かせるイメージで。
一番低いFriedenのFrieで、FとRiを分けて歌っている。
奥まらずにもっと前でFrieを一緒に発音する。軽く。
そのままのポジションでdenも縦に軽く。力を入れ過ぎない。
高い位置、前、軽く、に気を付けて歌ってみると
声はかさかさだけど、響きを下げずに歌えるようになった。ふー、やれやれ。
自分が思っているよりも、もっと前で歌えばいいのね。
歌詞、メロディ、リズムも取れるようになったので
ひとまず「献呈」は今回で終了。長かったー。
ドイツ語の発音が難しすぎて、子音の発音にこだわり過ぎて
母音をどう発声するかまで気を付ける余裕がなかったわ。
これは家でちゃんと歌えるように練習しなきゃ。
こんなお粗末さでは、この曲、誰にも捧げられないわ。
次の曲をどうするか、ということになって
「ドイツ語はもういいです」と言ってしまった。
いやー、懲りたわ。ちょっと自分でハードル上げ過ぎて
ハードルというより棒高跳びになってしまった。
次はイタリア語か日本語の曲にしよう。
以前楽譜を頂いていた、Piacer d'amorにする。
この曲は、低音の練習のために先生がピックアップしてくださっていたものだけど
この前Youtubeで聴いてみて、子供の頃にピアノの練習曲で弾いたことを思い出した。
音大出身の友達にも、イタリア語の曲やれ!と言われていたことだし
出だしのシ♭で苦労しそうだけど、これをやることにする。
最初の部分だけをラで歌ってみる。
出だしのシ♭は、力を入れ過ぎず上の方でふわりと歌うこと。
ブレスの位置に気を付けること。
次のレッスンまでに音取りをしてくることになった。
先生がお忙しくてレッスンまで二週間空くので
その間にしっかり譜読みして、歌詞とメロディを覚えなくちゃ。
出来たと思ったらまた出来なくなったり(まぐれだったのかー)
出来ない出ない、と思っていたら突然出来るようになったり
なかなか上達しないけど、地道に練習するわ。
考えてみたら、あれだけ苦しんだ「初恋」の出だしの低音も
いつの間にか普通に出せるようになってたし。
進歩していると信じて頑張る。
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