2020年5月11日月曜日

チラシの裏

ここはチラシの裏だから、その時々で考えたり思ったりしたことを
あんまり何も考えずにだらだら書いている。推敲もしない。
だから矛盾していたり、書いているうちに何が言いたかったか分からなくなって
あとから読み返して、いやこれはこういうことを言いたいんじゃないよな、
この結論は結論になってないよな、などと、自分の書いた文章を
赤ペン先生の視点でチェックしたりもする。でも面倒だから訂正しない。
チラシの裏への書き殴りだから、それでいいよね。
考えない、と言っても書いたらまずいこと、仕事の守秘義務に触れることは
書いていないし、書いても、ああ、これまずいと非公開にしていたりするんだけど。

なんでこんなことを言うかというと、過去記事を読み返してみると
書いたことをすっかり忘れて同じことを繰り返し書いていたり
正反対のことを書いていたりすることに気付くことも多いから。
納得したはずのことを性懲りもなく悩んだり怒ったり、
また 自分の中で一体何があって考え方が変わったのか
自分でもよく分からないことがあったりするんだわ。
ああ、消したい昔の自分。でも面倒くさいから放置。
チラシの裏への書き殴りということにしておく。

てか誰に話しかけているんだ。

何か考える時、自分の中で誰かに向かって説明しながら考えをまとめるので
書くときも同じ。多分自分に対して語りかけているのだけど
ふと、他の人は頭の中でどういう作業をしてるのだろうと思うことがある。
同じように誰かに対して説明しているのか、それとも数式を解くように
一人で筋道立てて考えをまとめているのだろうか。
そう言えばこういうこと、他人に聞いたことはなかったなあ。

これでも悲観主義者だから、何か始める前にこうなったらどうしよう
と悪いことを想像して迷うタイプなのだけど
一度同級生にそう言ったら、どうするかなんて起こってから考えたらええやん
と言われて、ものすごく驚いたことがある。
え?シミュレーションしないの?ざくっとでも前もって対策を立てておかないの?
と聞くと、いつも想定通りに物事が進んでる?と問い返された。
うーん、確かに。現実はいつもいきなり後ろから膝カックンする。
そんなもんでしょ。だからやりたいことはまずやる。
そこで問題にぶつかったらその時考える、と。
おお、これがポジティブシンキングというものでしょうか、
ミス・ミナコ・サイトウ!(古いな)

ことほど斯様に人の思考回路というのは異なっているもので
自分がそう思うから他人もきっとそうだと思い込むのは傲慢だということね、
と、また導きだされた結論が違うような気がするのは眠いからですね、赤ペン先生、
は、やったことがないが塾の採点バイトはやっていた。

眠い。久し振りに眠い夜だわ。
今日はお昼寝をしていないので、昨日の深夜1時頃から今まで
ずーっと起きていることになるなあ。
朝から発声練習して洗濯してご飯作って、午後から英語の勉強して
昨日の楽団さんDVDを再度見て、晩御飯作って食べて猫系Youtube見て
お風呂に入ってアイスを食べたら、眠い眠い。
もう目を開けていられない。

眠いうちに早く寝なくっちゃ、と思うけどその前に
昨日のDVDを再度観た感想。
「多分途中で寝る自信ある」と書いたけど、訂正する。
多分、一部で精魂尽き果てる、と思う。
もうね、喉が荒れていて声がバリバリなの。気の毒なぐらいバリバリなの。
多分自分のイメージ通りに声が出ないのかも知れないね。
しょっぱなから不安定だもん。ええっ?ここがまっすぐ出ない?
ここ外す?みたいな。今まで聴いてきた歌の中でもワーストの出来じゃないか。
歌いながら声が通るとこ探しているという感じ(そこはさすがにプロだわあ)。
聴いていてヒヤヒヤした。歌の世界どころじゃないわ。
会場で生歌を聴いていたら、こんなこともあるよねー、で済んでいただろうに
なんでこれをDVDにした?
「椰子の実」のワンフレーズだけでも、わー、全然出てないやん。
こんなに悲壮感の漂う「高原列車は行く」って。
歌っているご本人もしんどかっただろうけど、弾んでない、楽しくない。
それでも「たのしい夢」と「憧れの住む町」は、声はカサカサなんだけど
高音が綺麗に響いていて、こういう歌は孝太郎さんの伸びやかな高音を
活かす歌だと思った。だからもったいない、本当にもったいない。
掠れていなかったら聴いていて気持ち良かっただろうに。
その後の岡晴夫シリーズは、怒涛の力技。
途中で開いた!声帯が上手く合ってきた!
ものすごい迫力なのだけど、全部同じ歌に聞えるよ。
この訳の分からない迫力が孝太郎さんの魅力のひとつなのだけど
同じ歌に聞えるって、それでいいのか?
そして温まって調子が良くなった頃にショーは終わるのであります。
疲れた。なんかものすごく疲れた。もうこれは観なくていいや。
最後は盛り上がって会場のお客さんは満足だったろうけど
私は疲れた。再度言う。なんでこれをDVDにした?

怒ってたら目が覚めてきた。まずいわー。
コーヒーもう一杯飲んで寝よう。
そうそう実家から電話があって、新キャベツがひと玉700円になってるって。
700円ってさあ。それ、父の見間違いじゃないの?700円って。
キャベツ農家も自粛中なんだろうか。そんな値段じゃ買えないやん。
でも実家の家庭菜園で作ってるんだよー。送ってもらうんだよー。
キャベツ、キャベツ、新キャベツ♪今夜はキャベツの夢を見よう
と、脈略なく終わる。だってチラシの裏だもん。

2020年5月10日日曜日

ここ数日のことをダラダラと

いい気候ですね。
窓を開けて風に吹かれながら昼寝をするのは本当に気持ち良い。
お昼寝、最高ですわ。
気持ち良すぎてついつい寝すぎてしまい、いつも目が覚めたら夜中。

今日は明け方から雨だったせいか、ちょっと涼しい。
朝には雨が上がったので、いつも通り散歩に出かけた。
ちょっと出るのが遅くなって6時を過ぎた。
歩く人が多くなってくるから、早めにささっと回っておく。

もみじの緑が心地よい。深呼吸したくなる。
この先端の赤い羽根みたいなやつ、もみじの実で「翼実(よくか)」 というそうな。
実が成るということは、花も咲くということなんだろうけど
全然気が付かなかった。

こんな白い花が咲いていた。
朝日を浴びて清々しい感じ。

これはなんでしょう。
実が一斉に垂れ下がっていた。こんな草あったっけ?
これも気付かなかったわ。姿を変えていくので良く観察していないと見落とすね。

くるくると住宅街の間を抜ける。
スーパーはもう商品の搬入しているわ。こんなに早い時間から準備するのね。

古いマンション裏手の路地に入る。
廃墟になったマンション一階の駐輪場部分は草ぼうぼうで荒れ放題。
それでも関係なく花は咲く。

ハルジオン。ほわっとしたピンクの花。

こっちはショウブ。
かつては手入れされた庭に咲いていたのかな。
誰に見られなくても、咲く。

路地の突き当りに古い井戸があった。
多分もう、使われていないよね。

路地に面したお庭。
敷地との境目を塀ではなく花で埋める、というのは素敵。

マンション中庭のヤツデにも黒い実がついていた。
この木は割と好きなのだけど、これも実に気付いていなかった。
見落としがちな細かいところに世界の美しさは存在するのかな。
God is in the details.
おおざっぱな人間だからこそ、心に留めておきたいわ。何事につけても。
まあ、心に留めるだけで実行できてないんだけど。

帰ってきてから、朝ごはんを食べていつものように洗濯してから発声練習。
このところ声がかすれるなあ。今日はイ母音が上手くいった。

午後からは新しい教材で英語の練習。
アルクの「話す英語」という本、キンドルで無料だったからポチしたのを
長いこと放置していたけど、これをやってみようと思って音声をDLした。
なかなか面白い教材。表現自体はすごく簡単で、わりとよく使う言い回しが多い。
出荷関係の問い合わせなどで海外に電話していた時は、こういう言い方してたわ、
みたいな感じの実用的なものばかり。なのになかなか口がなめらかに動いてくれない。
歌うのと同じで話すのも話すための筋肉が動かないと、とっさに言葉が出てこない。
毎日、英語筋の筋トレのつもりで頑張る。

楽団さんのDVD、キター!!!
去年秋の浅草公会堂のコンサートのやつ。
平日なので行けなかったのよね。ワクワク。

簡単に感想。
映像は綺麗ですね。圭四郎さん、可愛い(はあと連打)。
客席に見知った方々のお姿が。みなさん楽しそう。

うーん、歌の調子はあまり良くないですね。
DVDと実際に会場で聴く歌は全然違うので、本当の良さは分からないけど
行った方は良かったとおっしゃっていたので期待していたのね。

声かすれてますね。高音、当たってないとこ多いですね。
細かいとこ回ってないですね。
えー、そこファルセットに返すの?柔らかくて綺麗だけど。

「小さな喫茶店」はキーが高いですか。高音、苦しい。
がんばれーと言ってしまう。客にこんなこと感じさせるのは、なんだかなあ。
「ああ上野駅」は相変わらず良いです。青臭くて純粋な感じが伝わってきます。
この曲は嫌いだけど、孝太郎さんが歌うと本当に良いです。

みんなで歌うコーナーの「椰子の実」は、難易度高い。
誰もが知っている曲だけど、いざ歌うとなると難しい。
夏に演奏会が再開したときにはまたやるかもしれないので
今のうちから練習しておこう。

全般的に退屈です。聴いていてしんどい。
私、その場に居ても途中で寝る自信あるわ。
て、ゆーてしもたわ。
良くない時は良くないのよ。いつもいつもベストの状態で歌える訳ないし
良し悪しはあって当然。このDVDに限っては、あんまり調子は良くない。
ほめないといけないんだろうけどさあ。
プロのミュージシャンは上手いだけが魅力じゃないし、
何を求めて演奏会に行くかは人それぞれだと思うけど、
私は孝太郎さんという方を「歌い手」だと思っているので
歌を聴きに行っているの。歌の世界に酔いたくて行ってるの。
だから、なんでもかんでも素晴らしいと言うのは却って失礼だと思うのよ。
素人が何を偉そうに、と言われるかもだけど
客の大部分は素人だから。こっちはお金払っている客だから言う権利はある。
街頭の時はそこまで求めない。お客さんと一体になって作り上げる
楽しい雰囲気が大事だし、こっちも歌ったり踊ったりに忙しいし。
でもホールで座って聴く歌は、歌の世界に連れて行ってくれないと嫌なの。

プロって絶対お客さんの前で失敗できないからね。
調子が悪くても悪いなりにきちんとまとめないといけない、大変よね。
今日は調子悪くて声出ませんでした、テヘペロ、で逃げられないからね。
でも、まとめた歌はつまらんの。随所上手いことテクニックで誤魔化しました
みたいな歌はつまらんの。あー、ゆうてしもた。

あなたもっともっと歌える人でしょ!こんな程度じゃないでしょ!
なんなんこれ!?と思うのよ。最近とみに。
良い時は本当に凄いからね。聴いていて震えるからね。
期待しているのよ、本当に。だから気長に待ってる。

以上、この辺で止めとく。
鹿児島テレビのDVDも買う。

2020年5月7日木曜日

GW中止のまま終了

ふと気が付いたら、今日は5月6日やん。
ついこの前、5月に入ったなあと思っていたのに
寝ているうちに過ぎてしまった。
国に合わせて大阪府も緊急事態宣言を月末まで延長。
大阪モデルというのを作成して、モニタリングして
基準をクリアしたら段階的に自粛解除するそうな。
通勤していた人は、明日から通常通り通勤するのかな。

家に閉じこもってテレビも見ないから
すっかり世情に疎くなってしまった。
まあ明日からも閉じこもっているから生活に変化はないけど。

久し振りにお散歩に行った。朝の5時前という早起きぶり。
この時間でもちらほら散歩している人がいるね。

これは花水木の仲間かな?
白いところは花なのかガクなのか葉っぱなのか
やっぱり落ち着かないわ。

桜は全部散ってしまい、藤の花も散っていた。
公園の木も街路樹も一面緑。さつきの季節もそろそろ終わりかな。
色はもっと鮮やかなのだけど、このカメラでは紫がかった色は
ハッキリ出ないのね。

路地に入ったら、路地沿いの家から出てきた集団と遭遇してしまった。
18か19くらいの男の子5,6人のグループ。
道一杯に広がって大声でしゃべっている。マスクしているのは二人だけ。
家に集まって遊んでいて、多分これからコンビニに行くんだろうね。
なんで早朝からこんなに騒がしいの?自分たちだけで密になるのは勝手だけど、
道をふさいでガーガー大声でしゃべらないで。
マスクなしでしゃべっている子が向こうを向いた隙に、
反対側から急いで通り抜けた。
こういうのがあるから、散歩時間を人の少ない早朝にしているのに。
ぶーぶー。

気を取り直して先へ行こう。

黄色い花、発見。
集会所のフェンスに絡まっていた。初めて見たわ。
なんていう花かしら。

神社のさつきは萎れかかっていたけど、違う花が咲いていた。
ムラサキツユクサかな。色はもっと濃い紫。

斑入りガクアジサイに蕾がついている。
これが満開になると梅雨かな。

苺に実が付いている。
葉っぱの陰から覗いているのが可愛い。

歩道沿いに植えてある低木に上品な花が咲いていた。
この低木はずいぶん前から植えてあるのに、花には気付かなかった。
白くて、ちょい頑丈な桜という感じ。あちこちで一杯咲いている。
こんなに目立つ花なのに、どうして気付かなかったんだろう。
見ているようで案外見落としているものは多いのかも知れない。

散歩から帰ってきたら、朝食を食べて家事をやってから1時間ほど発声練習。
お昼を食べてから、英語のテープを聴いて瞬間英作文の練習。
その後ぼやーっとYoutubeを見ているうちに一日が終わる。
という、とんでもなくだらしない生活をしておりますわ。

発声練習は、息を鼻から吸って鼻から吐く、次に鼻から吸って口から吐く
その後鼻から吸ってハミング、鼻から吸ってリップロール
というウォーミングアップをやったあとに、ドッグブレス。
その後は喉を開けて唇と下あごは脱力しながら、隣り合った音で上下させながら
音階を順番にあがっていく、というのをオから始めて全部の母音でやる。
これを毎日やっていると、低音でも喉が開きやすくなる。
でもイ母音のときに低いところが掠れるなあ。やっぱりイ母音は苦手。

英語の練習は、ずいぶん前に出版された
「ドラゴンイングリッシュ基本英文100」
という高校生向け参考書の音声CDを使っている。
もっと英会話の練習に適した教材があるのかもしれないけど
これを使っている理由は、基本の構文が全部含まれている、
一文が短くて覚えやすい、そして何よりCDの音声が
日本語、英語、英語という順番で入っているから。
まず日本語を聴いて止めて、それを瞬時に英語にする。
次に英語を聴いて正誤を確認、最後にオーバーラッピングかシャドウイング。

10年ほど前に買ったときは、100文すぐに覚えられたのに
久し振りにやったらすっかり忘れていて、咄嗟に英語が出てこない。
何回やってもつっかかる文があって、記憶力が低下していることを実感するわ。
会話のパターン練習としてもっと実用的なテキストがないか探しているのだけど、
とりあえずこれを全部すらすらと口に出来るまでは頑張る。

ぼやっとしているうちにあっと言う間に夏が来る。
それまでに、家に籠っていた甲斐があったと思えるような成果を出したい。
もうちょっとなんかやった方がいいよなあ、と思いながら
やっぱり今日も気持ちよく夜まで昼寝してしまった。
モチベーションを維持するのって、難しいわあ。

あ、そうだ。夏が来る前に台風で破れた網戸を張り替えなくちゃ。

2020年5月2日土曜日

GW中止のお知らせ

早朝からいい天気。
まさに五月晴れ。紫外線も花粉も強そうだわ。
絶好の行楽日和ですが、今年はGW中止のお知らせが来てますから
遠出はダメです。なので早朝散歩ですよ。

これは花水木だね。
うちのご近所では、さつきとともに花水木を庭に植えているお宅が多い。
ピンクが人気。花水木は街路樹にも使われているし、
綺麗なんだけどあんまり好きじゃないの。
花なのかガクなのか、いやもしかして色つきの葉っぱなのか。
いまひとつはっきりしなくて、見ていてどうも落ち着かない。

お寺の前でスズランを発見。
清楚な感じですね。花の形が小さいベルのよう。
ランドゥシュー、ランドゥシュー♪

このピンクの花、名前を調べたら「夕化粧」というそうです。
なんという素敵な名前。道端に生えている目立たない花だけど、
花と茎と葉を合わせた姿がすごくいいのよね。
どことなく和風。縮緬細工のデザインに使われそうな感じ。


帰ってから朝ごはんを食べて、豆苗を外に出して、洗濯して、
ピアニッシモで母音の発声練習をする。
隣の部屋のお子が、最近ベランダで飛び跳ねることが多くなった。
外に遊びに行きたくても行けないので、ストレスがたまっているんだろうなあ。
ドンドンと振動が伝わってきてうるさいけど、我慢するわ。
小さい子が外遊びを我慢しているんだもんね。今の時期は仕方がないよ。

お昼を食べてから現金がないことに気付いて駅前まで行った。
いきなり暑くなったわ。
真っ青な空、ちょい暑いけど風が吹いて気持ちいい。

「マリエンバーグ」も初夏の色になった。
日差しが強い。日傘さして来ればよかった。
ここを抜けたら公園に出るのだけど、ひとがいない!
例年なら、親子でブランコに乗ったり鳥に餌をやっている人がいるのに
子供の姿が見えない。みんなお子さんを外に出さないようにしてるんだ。
池の鯉に餌をやっているお年寄りが一人、東屋で赤ちゃんをあやしている
若いご夫婦が一組、花の写真を撮っている女性がひとり。
日差しがキラキラして緑が輝いているのに、しんとしている。
新緑の眩しさがせつないほどに静かだなあ。

浮橋の側には黄色が鮮やかなあやめ。

アオスジアゲハが生垣の上をひらひらと飛んでいた。
あまりに静かなので、蝶の翅音が聞こえるようだった。
世界の終りはこういう日であって欲しいな。

銀行前の河津桜も実をつけてる。
まだ赤くなっていないけど、つやっつや!
瑞々しくて美味しそう。食慾をそそるつやだなあ。

駅前商店街はそこそこ人が歩いていたけど、子連れの人がほんとうにいないね。
郵便局に行ったら、中がそこそこ混んでいたので入り口前で待機。
都市銀行のATMの前には行列が出来ていた。今日は止めておこう。

お金をおろしてからスーパーに向かう。
ほんとうに良い天気。暑いわ。
毎年大きな鯉のぼりを上げるお寺も、今年は自粛かしら。
青い空に舞っている姿が綺麗だったのになあ。

住宅街を抜けていたら、仄かな甘い香り。
ジャスミンだ!塀から外に垂れ下がっていたので
鼻を近づけてくんくんと嗅いでみる。 甘くていい香り。これは5月の香りね。

スーパーの中は、そこそこのお客さんが入っていた。
今までよく見かけていた、家族全員でぞろぞろ楽しくお買い物
という客さんがいない。テレビで散々注意喚起されたからかな。
お客さんはみんなマスクをしていて、静かだなあと思っていたら、
大学生くらいの男子二人組!マスクもせず、商品を手に取っては
べちゃくちゃ、きゃっきゃ。楽しそうで結構なのだけどツバ飛びまくってますわ。
見てくれる人がいないからと、仕方なく赤ちゃんを連れてきている人もいるのに
もうちょっと周りのことも考えようよ。

帰りにグランドの横を通りかかったら、子供が5人ほど集まってサッカーしている。
隅の日陰では女の子たちが座っておしゃべり。おいおい、密になっちゃダメでしょ。

ただ、集まってはしゃぐ子供の姿を見てほっとしたのも事実。
子供がなーんも考えずに遊んでいられる日常が、平和ということだなあ。
屋外で遊ぶのはそれほど心配する必要ないのかもしれないけど、
でも、やっぱり用心した方がいいよね。


コンビニの前で風に揺れるラベンダー。
これはアザミ。
トゲトゲですね。アメリカオニアザミかな?要注意外来生物。
なかなか駆除できないんだそうです。
 誰に踏まれて咲こうと散ろうと
 いらぬお世話さ、ほっときな~♪
と言いそうな、どことなく投げやり、でも生命力が強くてへこたれない
という感じがする花ですわ。

最近、昼間に外に出ると頭が痛い。家に帰るともとに戻るので
花粉のせいなのか、紫外線のせいなのか分からないけど
買い物に行くのはやっぱり早朝か夜遅くなってからの方がよさそう。
ますます昼夜逆転してしまうわ。

緊急事態宣言は延長されそうだし、5月中はこのままになりそうね。
もう自粛慣れしちゃって、生活に困らなければこのままでいいわ。
宝くじで3億円が当選したら、ぜったいに仕事しない!だらだらして暮らす!
と思いつつ、宝くじはもったいないから買わない、から当たらない。

2020年4月30日木曜日

花の咲く庭

夕べは頭が痛くて痛くてクラクラした。
毎年この季節になると体調が悪くて蕁麻疹が出たり、
持病の気管支炎で一ヶ月以上咳が止まらなくなったり、
微熱が出たり下がったりを繰り返すのが恒例だけど
今の時期はちょっとの体調不良でもやっぱり心配。

首から肩もパンパンになっているので、お風呂に入って湿布薬を貼って
早く寝ようと思っていたら、知人から電話。朝まで話し込んでしまった。
気づいたら頭痛がすっかり消え去って気分もすっきり。
整形でもらった湿布薬、効くわー。

肩こりが原因の筋緊張性頭痛も持病のひとつ。
初めてこの頭痛が起きたときは、その原因が分からなくて
ありとあらゆる病院を梯子したあげく、かかりつけの胃腸科で
「首から肩が石みたいにガチガチですね。原因はこれです」と言われて
思わず、はあ?肩こりですか?と聞き直してしまった。
それまで肩こりというのを経験したことがなかったので
肩がこるというのはどういうことなのか知らなかったの。
肩こりは本当に怖い。凝り過ぎると首が曲がらない、腕が上がらない、
息苦しい、声が出にくい、頭痛、胃痛、吐き気に発熱までしますわ。
その時の肩こりの原因はストレスでした。鬱だったし。
「小難しいこと考えんと、ぼーっと暮らしなさい」という
先生のアドバイスに従って、ぼやーっとお気楽に生きているの。

そんなわけで電話のあと、朝食にキャベツと蒸し鶏のサラダを作った。
おいしー!キャベツ本当においしい。身体の中が綺麗になるような気がする。
蒸し鶏はレンチンしたあと、肉汁ごと容器に入れたまま冷蔵庫で寝かしたら
味がしっかり染みていた。グラム68円の鶏むね肉、使えるわあ。
お腹もくちくなったので、腰回し体操やって、スクワットやって発声練習して
爽やかな充実感とともに気持ち良く朝寝して、目が覚めたら夜だった。
だめやん。ほんとうにだめやん。

昨日の朝のお散歩の時の花。
古いお家が並んでいる住宅街がお散歩コースなのだけど
こういう黒い杉の焼き板を貼った壁を見ると、懐かしい感じがする。
うちの田舎でも、この焼き板が定番なの。
このお散歩コースの住宅街は実家の近所とどことなく雰囲気が似ている。
道の両側に塀で囲んだ家が立ち並んでいて、前栽のある庭と
隣の家の土蔵との間に抜け道のような路地があって。
昔ながらの街道筋というのは、どこも似たような感じなのかな。

可愛い野花。
病院の横の八重桜。花の姿のまま点々と散っていた。
道端にアザミ発見。咲くのはいつかな。
公園の生垣に咲いた白い花。
何の木か知らないけど、よく生垣に使われているので
花が咲くなんて意識したこともなかった。
こういう葉っぱメインの低木はついつい花を見逃してしまうね。

河津桜の実が赤くなった。
食べられるのかな?人間が食べる前に鳥が食べてしまうだろうけど。

夜、友達からメールが来た。
山の中の古い一軒家を買って、自分でせっせとリフォーム中。
本当は手伝いに行って、お庭も見せてもらう予定だったけど
緊急事態宣言が出ているので、今は大阪から出られない。
本当に残念だと返信すると、今は荒れ果ててしまっているけど、と、
その家の庭の写真を送ってくれた。

古い日本家屋で、敷地も広いし家も広い。何よりも庭が気に入った
と言っていたけど、その写真を見て「なるほどこれは衝動買いするわ」と納得。
ちょっと鄙びた感じにしつらえたすごく素敵なお庭。
木の歪んだ形をそのまま生かした門の脇に茂るシダ、
築山に向かう置き石に沿って植えられたさつき。
元の持ち主はお金も年月もかけて作ってきたんだろうなあ。
友達は庭が気に入っているから、大きく変える気はないみたいだし
庭が残ることは元の持ち主も喜んでくれるんじゃないかしら。

散歩のときに花の咲き乱れる売家の側を通るたび、
切ないような泣きたいような、胸が締め付けられるような気持ちになる。
お庭を大切に育てた人がその庭を二度と見ることなく去ってしまって、
それでも花はあるじに関係なく咲いて。
そこが空家になったままだったら、いつか朽ち果て、
家も、大切にしていた庭も、蔦と葛に覆われてしまう。
人手に渡ったとしても、新しい持ち主が、その庭も庭に込めた前の持ち主の気持ちも、
まとめて更地にしてしまうかもしれない。

万物流転とは美しくも残酷だなあ。
多分、跡継ぎがいないうちの実家もいづれは空家になって
何代も前から植えられているこぶしの木も、ヤマモモの木も、
いちども咲いているところを見たことがない白梅の木も、
いつかすべてが消えて無くなるんだなあ。

時代は変わるし、家も興ったり没落したりするもので、
それでも人がいれば、どこかでその家族の血も歴史も続いて行く。
うちの場合は、姉にも妹にも子供がいないから
自分や親だけでなく、400年分のご先祖様を全部まとめて
無縁仏にしてしまうんだよなあ。

と、いつまでも物思いにふけっていられない。
私たちが死んだあと実家をどうするよ。
値段の付かないような田舎の家なんて相続しても親戚は困るから
檀那寺に寄進するか、角地で場所はそこそこいいし、
町内会に寄付して集会場にでもしてもらうかな。
早めに姉や妹と話し合っておかなくちゃ。
遺言状って公正役場に行かなきゃいけないんだったっけ?
墓じまいもしないと。費用はいくらくらいかかるんだろう、
とか、もう考えていると頭が痛くなる。

現実って残酷ね。

2020年4月28日火曜日

花の色

今日はさらに人の少ない時間帯に散歩しようと思って6時前に家を出た。
日が昇る時間が早くなったね。5時を過ぎたらもう周りは明るい。

さすがにこの時間は歩いている人がほとんどいない。
新聞配達の人や、夜勤帰りらしき人とたまにすれ違うくらい。

家からの坂道を下って、子供会の畑に差し掛かったとき
鮮やかな色に目を惹かれた。
これはあの「手抜きポピー」ナガミヒナゲシですよ。
実際はこれよりもずっとずっと濃くて鮮やかなオレンジだった。
びっくりした。普段目にするナガミヒナゲシは
もっと褪せたような薄いオレンジだから、こんな綺麗な色だとは知らなかった。
いやー、こんなに綺麗な子だったのか。手抜きなんて言って、正直すまんかった。

それで考えた。花の色、あ、女性の容貌のことではないですよ、
花が一番鮮やかな色になるのは、一日のいつごろなんだろうか、と考えたの。
今時は日中になると日差しが強すぎて、萎れかかっていることもあるし
日差しが強いと人間の目には色が痛すぎるように見えることもある。

もしかして花が一番美しい色を見せるのは、太陽が昇った直後で
まだ朝露の瑞々しさが残っている、今くらいの時間帯なんじゃないかと。
そして大部分の人は、その一番美しい花の姿を見逃しているのかも。

ひとのいない神社にお詣り。ついでにさつきも確認。
咲いたばかりの匂い立つようなさつき。ちなみに、香りはあまりしない。
さつきはすぐに花びらが萎れてくるので、この時間が美しいのかも。

昨日見た黄色のモッコウバラと色違い。
まだ冷たい朝の空気の中では、その清楚さが際立つね。

路地を通ったら古い家の軒下にこんな花が。
蔓が古い木材に這って、小さい薄紫の花がいっぱいついている。
なんとなく姿がいいわ。古家の軒下にふさわしい風情。

これは毎年近所のお宅の塀沿いに咲く、シラン。
実際はもっと濃い紫。良く見れば花はちゃんと蘭の形をしている。
これも、昼間より色鮮やかに見えたわ。昼間だと花がくたっとしてるのね。

歩道沿いの植え込みの低木も、白い花を咲かせていた。
ちっちゃいユリみたいな、ジャスミンみたいな形の花。
誰にも気づかれずひっそりと、こんなに可憐な花を咲かせていたのか。
気が付かなくてごめんよー。まあ花の方は
「あんたに見てもらうために咲いてるんとちゃうわ」
と言うだろうけど。

歩いている途中で足元を注意深く見ていると、野草も花をつけていて。
朝に美しい黄色。
これは以前に港に通勤していたときに、よく見ていた花だ。
うちの近所でも咲いていたのね。お久しぶり!

グランドの近くを通りかかったら、ラジオ体操の放送が始まった。
結構人が集まっている。2メートルどころか、グランドをフルに使って
5メートル以上の間隔で体操している。端っこでは太極拳をしているグループも。
こんなに早起きの人たちがいっぱいいるのか。

早朝に出会うと言えば、大きいゴミ袋と火ばさみを持って
散歩がてらゴミ拾いをしている人。
道路脇の植え込みに捨てられた、空き缶やたばこの吸い殻
コンビニの袋などを拾い集めている。
街や道路が綺麗なのは、こういう人たちのおかげなの。
私もやろうかなと思うけど、人によって大体ルートが決まっているようなので
邪魔してもいけないかしら。こういうのって迷うなあ。

子供会畑の矢車菊は紫と青のグラデーションが綺麗。
青いのもあった。実物はもっと濃い青。
この畑にはピンクの矢車菊はなくて、白、パープルグラデーション、青だけ。
どうしてこういうカラーチョイスになったんだろう。
子供会の小学生が植えるものにしては渋すぎるぞ。

矢車菊は、色も形も群生している姿もどことなくノスタルジック。
子供の頃は、畑に植えているお家が多かった。もちろんうちも。
昔は子供が学校に花を持って行く習慣があって、
各自の家で咲いた花を切って持って行って、教室に飾っていた。
田舎なもので、どの家も庭や畑にいろんな花を植えていたなあ。

「善意の日」というのがあって、4月終わりごろの花が咲く時期になると
小学校では各自が家からそういう花を持ち寄って、たくさんの花束を作り
それを、病院、郵便局、警察、消防署、役場、駅、福祉施設
そしてなぜか農協など、普段お世話になっているところに持って行ってた。
全校生徒から集められた花は凄い量で、校庭に花の小山が出来るくらいだった。
先生方がその小山からせっせせっせと花束を作り、
午後から生徒の代表が何組かに分かれて花を届ける。
私も6年生の時に、子供がなんとか抱えられるくらいの巨大な花束を
農協と警察に持って行ったよ。

家の近くには、裏庭をバラ園にしているお宅があって
この時期にはあらゆる種類の薔薇が咲き乱れていた。
当時、個人所有のバラ園としては近畿有数の規模だったらしい。

裏庭はフェンスで囲まれていて、裏庭に面した路地で遊ぶとき
時々、フェンスの間から手を突っ込んでバラのとげを取っていた。
トゲを鼻の頭にくっ付けて、ゴジラー、とかやって遊ぶの。
 細い路地には色とりどりの薔薇の花びらが散らばっていた。

バラは梅雨に入る前に全部花を落とさないといけないそうで
そうやって切り落としたバラの花は、近所や学校に配られた。
バラ園が新聞で紹介されて、観光客が来るようになると
バラを勝手に切っていく不埒ものが出るようになったため
フェンスは取り除かれ替わりに塀が立てられたので
子供のゴジラごっこも終わり。それでも路地にバラの花びらは広がり
5月の終わりには花束のおすそ分けがあったなあ。

そのバラ園は、もうないの。もうないんだよね。
家が人手に渡って、今はある工場の寮になっている。
何年も何年もバラを大事に育てていたあの家族も住んでいないの。

実家を離れてからは一度もあそこには行っていない。
実家から歩いて10分ほどの距離なのに、帰省した時もあえて避けている。
家の姿が変わっているのを見るのが怖い。
バラ園が無くなったことを確認するのが怖い。
あの裏路地、土蔵とバラ園に挟まれた薄暗いあの路地は、
自分の思い出の中でずっとずっと、バラの花びらが散る場所であって欲しいの。

***
なんか花を見るとノスタルジーを刺激されるわ。
匂いが思い出と結びついていることも多いけど
花や植物は、もっといろんなものを引き出してくるね。
多分、世界がどうなろうと、人間が見ていようといまいと関係なく
粛々と自分の営みを繰り返しているからなあ。

2020年4月27日月曜日

花を探して散歩

あんまり外に出たくはないけどストレスが溜まるので、
ひとが少ない早朝7時前に散歩に出かけた。
朝から良い天気。今日は花粉が飛びまくりそうだわ。

桜はもう終わり。ほんの少し枝先に残っている程度。
八重桜も色褪せて枯れ始めているけど、最後まで元気。
ギリギリまで咲くことを忘れませんねー。えらいぞ、八重桜。

公園の隣のグランドでは、ラジオ体操をしている人がいる。
10人ほどが、グランド一杯に広がって3メートルほどの感覚をあけ、
マスクをして体操していた。
一応ソーシャルディスタンスを取っている、ということなんだろうけど
終わったあと集まっておしゃべりしていたら、意味ないやーん。

モクレンの花も散ってしまい、代わりに綺麗な色の葉が出ていた。
美味しそうなライトグリーン。おひたしにして食べたい、と思う野菜不足。

初夏を感じさせる花の代表と言えば、これ。
青い空に映える藤の花。公園の藤棚では白い藤の花が咲いていた。
もう一個、紫もあった。
紫で咲いていたのはこのひと房だけ。
だらりと垂れさがった姿が、舞妓さんの簪のよう

藤の花は梅の次に好きな花。
いつも連休の終わりに実家から帰って来るとき、
道路脇の山の中に藤の花が、5月の風に揺れている。
山の新緑を背景に柔らかい紫の花を咲かせる山藤は
故郷を離れる私を見送ってくれる花。

ゆーて車で一時間弱やないかーい!もっと頻繁に帰れよ、自分。
でも今は自粛中だもん。

藤は清楚でしとやかな花の姿からは想像もつかないような
無骨なほどに野太い蔓を持っていて、その太い蔓を松の木に巻きつけ、
ぎりぎりと締め上げているようだった。

ここで一句。
 手弱女の衣の下のすさまじき
・・・お粗末すぎにもほどがある。文学的センスは皆無ですよーっと。

猛々しさをおくびにも見せない品よく嫋やかな花の姿。
車窓からそれを眺めながら、わたくしもこの藤のように生きよう
と思うものなのですわ。うん。

公園の桜の木に少しだけ花が残ってる。
散る桜残る桜も散る桜。
映画「男たちの大和」で、役名は覚えていないけど
病院に中村獅童を見舞った反町隆が言っていた。
これは良寛禅師の辞世の句だそうな。
どんなものにも、どんな時にも、どんな人にも、必ず終わりは来る。
早いか遅いかの違いしかないのよね。
ああ、先輩は元気かなあ。会いたいなあ。

公園から神社の方に歩いていこう。
途中の家の生垣に見つけた、最近流行の黄色いバラ。
これはモッコウバラという中国原産のバラなんだって。
この生垣のお宅では、他にも赤いバラや雪柳など色とりどりの花々が
今は盛りと咲き乱れていたのだけど、門に売家の看板が掛けられていた。
雨戸が閉じられて、誰も住んでいない家の玄関には、
ご年配の方が外出に使っていたと思われる
手押しのショッピングカートが置かれたままになっていて
おそらくこの家で一人暮らしをしていて、
この庭を手入れして丹精込めて花を育てていたであろう
このカートの持ち主は、いまどうしていらっしゃるのかしら。
花の盛りを見ることが出来たのかしら、などと考えてしまった。

角のお宅の前、朝日に輝くのは鳴子ユリ。
これはうちの実家でも植えているので名前は知っていたのだわ。
活け花にもよく使うけど、また私がこれを活けるのが苦手で
水盤では全然型を作れなくて、先生にいつもため息をつかれていた。
ほんと、美的センスも手先の器用さもないわ。
蕾がまだ薄緑だけど、もうすぐ真っ白になるね。

神社のさつきも盛り。これはピンク。
このさつきは庭木として本当に一般的なのね。
神社やお寺、学校の他、普通のお宅のお庭でもよく見られる。

公園の八重桜は盛りを過ぎてしまったけど、病院前の濃い色の八重桜は満開。
なんかモフモフしている。花びらの数がこっちの方が多いのね。

ギザギザで、カーネーションみたい。あ、母の日に送るお花を準備しなくちゃ。

散る時も姿を留めたままなのね。さすが八重桜。気合いが入ってます。

児童公園の花壇に老人会の人が植えた花。
マーガレット?と思ったけど、違うなあ。
花の形が可愛い。何という花かしら。

お寺の前にもつづじ。
葉っぱと花の色のバランスが良いね。
緑+ピンクのような補色の組み合わせは、着物と帯の組み合わせでも典型だけど
今これをやると、極めて昭和っぽい古臭い雰囲気になって
若い人ならレトロっぽくて可愛いけど、私のようなおばちゃんがやると
娘時代の埃をかぶった着物を引っ張りだしてきた、みたいな
もっさり感がいや増すという危険な組み合わせ。
でも好きだからやっちゃう。

その前を通り過ぎて路地を歩いていたら、何これ、可愛い!
塀の足元に沿って、ピンクの花と白い花が交互に植えてあった。
ピンクのは、よく道端で見かける。調べてみるとヒメツルソバという蕎麦の仲間で、
繁殖力が強くて、コンクリートの割れ目からも出てくるんだって。
この花、可愛い。そんなに繁殖力が強いなら育ててみたいなあ。
園芸が下手で無精な私でもなんとかなるかも。

もう花の時期が終わったと思い込んでいた八重椿がまだ咲いていた。
綺麗な形。椿は絵になる花だわあ。
蕾も付いていたので、まだまだ咲くかな。
忘れていてすみません。

いろんなお花を見ることが出来て、満足してお散歩終了。
朝ごはんを食べてから、今日は建設的に過ごそうと思って
英文法の参考書を読んで問題を解いていたのだけど
いつの間にか寝てしまったようで、気付いたら夜だった。

あかんやーん。
花の様には生きられませんわ。

また放置、そしていつのまにか春

 歳月が流れるのは早いなあ。 ぼーっとしている間に一年が終わり、年が明けたと思ったらもう2月も終わり。 父が手術で入院したりとバタバタしていたので2月半ばまで実家でリモートワークした。 いやー、仕事になりませんわ。 18時まで仕事なのに、5時過ぎから母に「ごはん作るの手伝え...