2021年11月27日土曜日

ブラック企業で生きてます

前に書いてから随分長いこと放置していたな。

生きているんだわー。

コロナにも感染せず(在宅勤務だし)元気なんだけど、
とにかく仕事が忙しくて、
起きる仕事する仕事しながら適当に食べる仕事する寝る起きる
の繰返しで、自分のことなーんにも出来ませんわ。

あかんわ、こんなん。

何のために生きているのか分からない。
ので、辞めるわ、この仕事。

若い時なら、最初のうちは徹夜してでもがーっと詰め込んで、
仕事だけに集中する時間というのがとても大切だし、
実際、そうしてきたのだけど、
この年齢になると、残り少ない時間の方が大事になってきて、
もう先も見えているし、それをやったからとて、どうなるものでもない。

こういう生活を続けても先がないなら、撤収する。
損きりは早い方がいいに決まってるもんね。

もうね、ブラックですよ。

様々な現場を体験し、世間一般の皆様よりは
数多くの会社を見てきた私ですが、
もうここは、典型的なブラック企業ですよ。

仕事をするために必要なマニュアルは与えない、
時間の余裕も与えない、
けど、ノルマだけはきっちりのせてきて、
果たせないと脅す、
会社はサポートはしない、
でも「チームで助け合いましょう」とは言う。

そうそう、社是とかはすごくご立派なの。
社員が活き活きと自己実現できるように、とかさあ(大爆笑

こういう環境に放りこまれると、ノルマ達成に追われて
数字をクリアできない自分が悪いように思えるの。
で、みんな頑張っているから自分もがんばろ!とか思っちゃうの。

いや、末端社員が頑張る前に、会社が頑張れよ。

クライアントに言われた無茶を、右から左に渡して、
社員に頑張れ頑張れ言うだけなら、なんのためのクライアント担当よ。

交渉しろよ、「下請法ってしってますか?」と脅せよ。

クライアントさんの希望ですから、
クライアントさんが望んだ数字ですから、
達成できないと、職場そのものがなくなりますから。

だぁーかぁーらぁー?
しらんがな。

私が経営している会社じゃないから。
職場がなくなったら余所へ行くだけ。

そもそも、こういうこと言う会社って、
執着しないといけないほどの給料も出さないからね。
なんで社員が辞めないと思っているのか不思議。

て、いうか、みんなどんどん辞めてるから。

もうプロジェクトのスタート時点から半年で5人辞めてるから。
で、近々、もう一人辞めそうよ。私も合わせて二人か。ふふふ。

土日は休みだけど、祝日は休みになりません。
代休は取れるけど、少人数でいっぱいいっぱいだから好きなときには取れません。
代休を取っている人も、実は家で仕事してます。

休みを取ってください、と何度も言われるけど、
気にしないでね。辞めるときに有休と一緒に消化しますので。

ブラック企業で働いている方に言いたいのだけど、
一回冷静になって、そこにいるメリットとデメリットを
ちゃんとリストアップした方がいいと思うよ。

多少なりともメリットの方が上回っているなら、
その会社で働く意味はあるとは思うけど、
デメリットの方が上回っているなら、
さっさと転職活動した方がいいよ。

世の中には、ホワイトとまではいかなくても、
グレー程度の会社は一杯あるから。

私も、デメリットの方が多いから、辞めると決めた。
メリットと言えば、サビ残が問題になってから残業手当が付くようになって、
しかも仕事ばっかりでお金を使う機会がないから、
小銭が溜まって新しいパソコンが買えることかな。

その残業手当だって、10時過ぎの深夜残業と
休日出勤は駄目、なのよ。みんなやってるけど。

そういう私だって、今日は朝から仕事していたけど。

辞める前に抱えている仕事をなんとかしなくちゃ、
放りだして辞めたら他の社員に迷惑が、

なーんていうのも、ブラック企業のブラック社員的思考ですわ。
いや、そもそも思考停止ですわ。

自分も染まってきているな。はよ逃げよ。

一人辞めて業務が回らないなら、会社がなんとかすればいいんだし、
辞めた人の仕事を乗せられていやなら、自分も辞めりゃいいのよ。

ドライだけど、会社のために、とか思えるほどの
待遇を提供していない会社の方がずっとドライだろ。

そんなとこに義理なんか感じる必要ゼロよ。

さーて、パソコン注文しようっと。
もう機種は決めてあるんだ。

2021年6月27日日曜日

「るろうに剣心 The Beginning」

 「るろうに剣心」の最終作、The Beginning を観てきました。


ついに完結ということで一作目からリバイバル上映をやっていたので、順番に観に行ってこれが最後。最後の作品なので実は二回見ました。

前の4作品とはまったく違う雰囲気の作品になっているので、感想を書いてみる。殺陣のシーンがすごいことはもう今更ですから、主に剣心の人物像についてです。ネタバレありありにあり、敬称略、制作者の意図は関係なくあくまで私個人が勝手に思ったことですよ。

この作品はOVAがとても有名で、映画も原作よりもどちらかというとそちらに寄せてますね。OVAは二人の男性の間で苦悩する巴の心情を丁寧に描いていて、一生同じつがいでいるという白鷺が巴の心の揺れを表していたり、椿の花が効果的に使われていたりとかなり細かく造り込んであって、愛し合ってはいけない二人が愛し合ってしまう悲恋物語で、何度観ても泣けます。

一方この映画の方は、完全に剣心の物語ですね。二回観て、二回とも「これは剣心という少年の物語だ」と思いました。理想を胸に山奥から出てきた、腕は立つけど世間知らずの少年が、周りの大人に上手いこと丸め込まれて汚れ役をやらされ、一生重い十字架を背負わされるという、身も蓋もない、えげつないお話。その大人は、この純真な少年の人生を狂わせると分かっていながら利用するんですからほんにえげつない。最初から最後まで可哀想なくらい便利に使われまくるなかで、悩み、迷い、苦しむ孤独な少年の物語です。殺陣のシーンがまた凄くて、ものすごい速さでばさばさと斬っていくところは、残酷だけど美しさすら感じますが、短い。アクションを期待していた人にとっては物足りないかもしれないけど、この物語のキモは実は殺陣シーンではなく、剣心が変わっていく姿なんですよね。

一回目を見たとき、剣心の表情が前作までとはあまりに違うので、あれ?佐藤健ってこんな顔だったっけ?と思いました。一作目から10年近く立っているからアップになるとやっぱり顔は老けていて、頬の緩みなんかはっきり映るから30前だと分かる。でもなぜか、20代前半でまだ少年の面影を残していた一作目より、今回の剣心の方がどことなく幼い。それは、表情がぼやっとしているから。殺陣シーン以外はあの目力がないんですよ。

奇兵隊に入ったシーンでも、周りの大人たちに囲まれて酒を勧められて、戸惑うような引きつったような笑顔を浮かべるとこなんか、その表情を見ただけで、「あ、これあかんやつや。この子上手いこと騙されて、仲間のため、世の中のためとか思わされて鉄砲玉に使われるわ」と分かるのよ。純真で、世慣れていなくて、仲間として受け入れられて嬉しいけど、どう振る舞ったらいいのか分からない、という子供の表情そのものなの。

剣を振るっているときは怖いくらい冷酷な表情なのに、それ以外の時の剣心は伏し目がちで、瞼が重くて、どことなく曖昧な表情をしている。暗殺者だから人の記憶に残らないようにしているというのもあるんだろうけど、これは、まだ人生決めていない子供の顔ですわ。自分はこう生きると決めている大人の男の顔じゃないんですよ。表情から強い意志が伝わってこない。まだどう生きるべきかを決めかねている、迷いがある、だから幼く感じるんですね。

すごく印象に残っているシーンは、池田屋に駆けつける途中で沖田総司や新撰組と遭遇するところ。剣心、涙を流しているんですよね。長州藩士が止めに入って、斉藤に兆発されて向かおうとするとき、頬をつーっと涙が伝うんですが、この時の表情は、頭の混乱した子供のそれ。10年後の剣心だったら絶対にこんな顔はしなかったと思う。新しい世の中を作るために必要だと思って暗殺を続けてきたけど本当にそれが正しいのかと迷いが出てきて、そこを巴にグイグイ突っ込まれて、思い悩んでいる時に池田屋に行かなくちゃいけないし、邪魔は入るし、頭がぐちゃぐちゃに混乱してテンパっている子供の顔ですわ。この表情は本当に凄い。ここの見所は沖田との対決なんだけど、その後のほんの短いこのシーンの方に衝撃を受けたわ。ここは何度でも観たい。漫画のキャラである剣心を生身の人間としてものすごくリアルに感じた場面でした。そのぼやっとした表情の剣心が、巴に「ともに暮らそう」と言った時は、意志のある男の顔をしているんですよね。で、巴がそれを受け入れてくれたら、ふっと安心したような元の伏し目がちの少年の顔に戻る。この表情の変化、まさに生きて悩んでいる人間ですわ。

次に印象に残ったのは食事のシーン。静かに淡々と食べ物を体内に入れているだけという食べ方だったのが、田舎の家で巴と食事をしているときは、無言なのに頬や口元からもう美味しいのが分かる。飲み込んでふーっと鼻から息をはくところなんか、巴でなくても「よかったねー」と言いたくなるほど。大根を抜いて嬉しそうにしているところなんて、完全に無邪気な子供。もう可愛くていとおしくて、巴が目的を忘れそうになるのもむべなるかな。

佐藤健、上手い俳優だとは思っていたけど、こんなに繊細な演技をする人だったとは。これ、漫画のキャラとは違うまったく新しい剣心よね。原作とは違うので嫌だと思う方もいらっしゃるかもしれないけど、私はこの剣心、すごく好きですわ。理想を抱いて、正しいと信じて汚れ仕事を引き受けて、その方法に疑問をもって、どうすればいいか一生懸命考えて、好きな人が出来て、その人との暮らしに幸せを感じて、そうやって人生を模索していくひとりの少年の姿が、凄く生々しい。生々しいからよけい痛々しくもあったわ。

闇の武との闘いのシーンや、巴を斬ってしまうシーンは、白と血の色の赤のコントラストが美しかったのだけど、その後のシーンで全部持って行かれた。

亡くなった巴と一緒に剣心は今まで通りの生活をするんですよね。部屋の奥の布団に巴の亡骸を横たえたまま、剣心が一人で台所に立って料理をし、ひとりで食事をし、巴と一緒に外を見た縁側に一人で座って、穏やかな表情で雪景色を見つめるところ。巴を斬ってしまう場面よりも、この場面の方が「えげつないなあ」と思った。剣心がこれから心穏やかで静かな生活を送ることはもうないんだよね。二度と戻らない日々に別れを告げるようなこの無言のシーンは、私にとっては「るろ剣」シリーズのなかでもっとも残酷なシーンだわ。

OVAは何度観ても泣ける私ですが、「The Beginning」は二回とも泣けませんでした。この映画の剣心という人物像があまりにも生々しくリアルだから、よけいに泣けない。ただ「この子はまだ10代なのに重すぎるほどの重荷を背負わされて、これからの長い人生を生きていかなければならないんだなあ」と、なんとも言えないやるせない気持ちになった。人は生まれてきた以上、寿命が尽きるまで生きなければいけない。重荷を背負って、でも生きろ、と。ああ、私も歳を取ったなあ。

*****

巴についてですけど、なんかイメージが違うのね。イメージと言えば剣心も原作とはイメージが違うんだけど、巴がミステリアスというより健康的すぎるかなあ。

有村架純という女優さん、大好きなんですわ。「何者」のほんわかしていて、それでいて芯の強い女子大生は、男子大学生ならみんな好きになるだろうなあと思うくらい可愛かったし、「3月のライオン」の意地悪で荒んだ姉の役も良かった。でも、この巴役は、うーん。

すごく綺麗なんですよ。目がぱっちりしていて鼻筋が通っていて、鼻から顎のラインなんて本当に美しい。でも、着物だからふっくらして見えるし頬もパンパン。剣心の顔が小さい分、余計にぱんぱんに見えて、正面で顔が並ぶシーンになると、ああ、パンパンやなあ、と。女郎に落ちて流れてきたんだろうと言われていたけど、絶対そんな風には見えません。無愛想だけどしっかり者の若い娘さんそのもので、美しく健康的で、まるで姉のように世話焼きの娘さんだからこそ、剣心も疑いを持たなかったのかも知れないけど、それにしても陰りが無さ過ぎてコスプレ感強かった。剣心の着物は汚れたりよれたりしているのに、巴の着物はやけにきれいで釣り合わないんだよね。生活感がないの。あの髪型も良くないわ。巴には思い入れのある人が多いから原作通りにしたのかもしれないけど、もっさりしすぎや。ただ、健康的で面倒見が良いから、田舎で二人で暮らしているシーンなんかめちゃはまるんですよね。佐藤健よりも年齢は下なのに、剣心よりも年上に見えた。

で、いろいろ考えていたんだけど、巴も剣心と同じなんだよね。薫の場合、薫と剣心は光と影、日向と日陰の関係で、薫は剣心が若いころこうありたいと思ったような理想を貫いている眩しい存在で、だからこそ守りたいと思ったのだろうけど、巴と剣心は同じ。どちらも大人の思惑に巻き込まれて人生狂わされた子供なんだなあ。巴も利用された普通の小娘だったら、陰りがある大人の女よりもあれくらい健康的で普通の娘さんっぽい方が合っているのかなと思う。最初は復讐を考えていたのに、実際の剣心と接している間にそっちに惹かれてしまうというところも、普通の若い娘らしいといえばらしいし、剣心の弱点を探れと言われていたのが、そうではなく剣心を惹きつけること自体が目的だったと言われて、驚くシーンなんか、普通分かるやろ、あそこまで世話焼きしたら若い男は惚れるよ、弱点も何も、人斬りがすっかり無邪気な農家の子供になってるやん、と思った。でもそういうのにコロっと騙されるところも普通の娘さんなんだよね。臈長けた女だったら最初からそっちが目的だと気付く、てか自分でそれを目的にする。

田舎で二人仲良く暮らしているところまでは良かったのだけど、その後から亡くなるまでがもうダメだった。闇の武に騙されていたと知った時の驚き方は大袈裟すぎて、え?いきなりキャラ変わってる?と思うくらい不自然だった。一番気になったのは、あのアイメイクよ。つけまつ毛もアイラインも顔に陰影を出すためなんだろうけど、巴が亡くなるシーンでもはっきり見えるのは興ざめだったわ。るろ剣世界にアイラインやつけまつ毛が存在していても別にいいよ。死ぬ覚悟の女性が身ぎれいにするのも分かるよ。でも、ちょっと前まで涙で顔がぐちゃぐちゃやったやん。なんでアイメイク崩れてないの?普通、化粧崩れするよ。どんだけアルティメットスーパーウォーター&オイルプルーフやねん。そのまつ毛とアイライン、どこで売ってるのよ。目じりを上げ気味に描いたアイラインに合わせてまつ毛を付けているから、目を閉じかけているときに、まつ毛だけ海苔みたいに浮いていて思い切り不自然。感動的な場面のはずなのに、あー、つけまつ毛やなあ、といきなり現実に引き戻されたわ。

剣心の人物像はすごくリアリティがあったし、家の中の様子や小物に季節ごとの光や影まで凝っているのに、あのまつ毛で全部台無し。大きなスクリーンでアップになった顏が観客からどう見えるか、そこ手を抜かないで欲しかった。目鼻立ちがはっきりした女優さんなんだから、アイメイクはなくても良かったんじゃないの?

ちなみに小道具といえば、剣心が巴を探していくシーンで着ていた白っぽい着物の袖に振りがあるんですね。巴の死後、桂が訪ねてきた時の剣心も、襷がけをして振りを後ろに回している。一方、京都で人斬りをやっていた剣心は筒袖の着物を着ている。これ、絶対意図的に変えていると思う。ほかに、あれ?と思ったのは、剣心が二本差しじゃないんですわ。清里を斬る回想シーンの剣心は脇差を挿しているけど、今回の剣心は大刀しか持っていない。これもやっぱり意図があるんじゃないかな。ちょっと調べてみたら、二本差しというのは主君を持っている武士のお作法みたいなものだそうで、ということは、剣心は長州藩とは関係ない浪人の扱いだったということなのか。そうだとしたら、いざとなったら使い捨てる気満々。剣心はそういう立場だったということなのか。

ほかにもいろいろ細かいところまで丁寧に作りこまれているし、他の役者さんたちも良かったのに、あのつけまつ毛だけが返す返すも残念過ぎる。

2021年6月9日水曜日

緊急事態宣言継続中、だが働く。

 あっつー!!!

今日の気温は30度オーバーですよ。もう真夏ですよ。

これは夏の花なのに5月末で満開やー。

つばめの巣もみっしり雛がつまってます。

緊急事態宣言は継続しておりますが、私は4月末から働いておりましたわ。

もちろん、コロナ関連。てかそれ以外に仕事がない。

それならいっそ、コロナ関連の仕事をしよう。

いったい世の中で何が起こっているのか、

自分を苦しめているものの正体は一体何なのか、

しっかり見よう、と思ったのですわ。リスク高いけど。

まあ、分かりませんわ。でも各所各人が必死なのは垣間見た。

 

あんまり詳しくは言えないけど、まあ、どこも大変ですわ。

飲食店は要請を守って営業されているところが多いのですが

一番面倒なのは、お客さんに「会話をするときはマスクをしてくれ」

と頼むことらしいんです。言いにくいとおっしゃってましたわ。 

お酒飲んでいいんです、ご飯食べにいっていいんです。

とにかく、マスクなしでしゃべるな、と。大声だすな、と。

黙食ですよ。飲食店に協力したいならそれも協力して差し上げて。 


 5月からは別のコロナ関連の仕事をしましたが、そこでも分かったこと。

やっぱりマスクなしの会話が一番感染するみたい。

職場では二重にマスクして、消毒、換気を徹底していて

夜は飲みにも一切行っていない。でも感染しちゃった。

行動を振り返ってみると、お昼休みに休憩室で同僚と世間話しながらお弁当を食べた。

知り合いとカフェで一時間ほどおしゃべりした、というような

ずっと習慣になっているようなことでつい油断したり、

相手は友達で元気そうだからまさか、と思っていたり、

こういうことから感染するんですね。

もちろん、十分気を付けていたのに感染してしまったという方もいらっしゃるので

もはや運かも。

 

で、家族内に感染者がでたら、他の家族にも感染させます。

たとえ陽性でなくても、家族は濃厚接触者になるので

陽性者との最終接触日から二週間は自宅待機ですわよ。

大変なのが、ご高齢の方と小さいお子さん。

高齢者でデイケア通ってた、ヘルパーさんに来てもらっていた

という人が感染したら、デイケア行けないし、ヘルパーさんにも来てもらえないですよ。

誰が面倒みるの?そうです。家族が仕事を休んで看病するんです。

その家族も濃厚接触者だから二週間外にでられませんよ。

保育園で乳幼児が感染したら、隔離できないのでお母さんが面倒みます。

陰性でも二週間は保育園に行けないので、当然お母さんは仕事を二週間休む、と。

そのお母さんが妊娠中ということもあるのですわ。

ある程度の年齢以上なら、自宅で部屋に閉じこもっておくことが出来ますが、

ケアの必要な高齢者と乳幼児は、感染するとご本人はもちろんのこと

結構周りが大変なのです。

 

それにしても、発症してもなかなか入院できないとよくご存じで

毎日検温し、血圧をはかり、早朝の散歩以外は外には出ず、

レトルト食品や、服用できる市販薬も早めにしっかり用意している

というご高齢の方もいらして、頭が下がる思いでござる。

 

変異株は、無症状から重症化までが早いことと、症状がばらばらで

絶対こうなると言えないことが面倒なんだそうで、聞いた話では

身体中が痛くてたまらないとおっしゃる方が多いそうです。

 

ピークが過ぎたようですが、また次の波が来るかもしれないし、

次の波が来ると、だいたいにおいて前より感染者は増えるとのこと。

みなさまも油断なさらぬようお気を付けください。

 

そんな私は6月から在宅勤務ですわー。

しばらくこれを続けますが、運動不足でコレステロール値が高い。

時間を見つけて歩かないと。

2021年4月17日土曜日

全然勝利しない我が心

あっという間に桜が終わり、速攻でつづじやさつきが咲いて枯れ 
今年の花の移り変わりは早すぎるよ。 

去年は見に行けなかった長岡天満宮の霧島つつじ、 
例年なら連休に入ってからが見頃なのに、今年はもう満開らしい。 
明日、ささっと見に行こう。 

さて、歌のレッスンは前回から課題曲がイタリア歌曲になりましたわ。
先生が選んでくださったのは、Vittoria, mio core!(勝利だ、私の心よ)です。
古典です。古典好き。
イタリア歌曲集の中音用からなので、メゾの人が歌うキーですね。
やっぱり低音が出にくいですわ。


アウフタクトの曲なのですが、やっぱり最初のGの音を綺麗に出すのが難しい。
最初のフレーズはフォルテなのだけど、強くすると押してしまう。
先生に、息が上まで上がる途中で歌い始めている、と言われた。
息は上までちゃんと吸って、後からくるんと回して
高い位置で受けるようなイメージで、しっかり準備をして開いてから歌うこと。

次の Non lagrimar piu で低くなるところは下げない。

次のフォルテで始まる高音のフレーズは、最初のBの音がアウフタクトなので
次の音を導く音。力を入れて押さないようにする。
ここもしっかりブレスして高い位置から始める。
この高音部は口の中で声がこもっているから、額の真ん中に細く集める。
内側から細い穴にフックをぴっとかけるようなイメージで。

一番苦労したのがこのあとの、また音が下がるフレーズ。
mio core の mio のDの音が喉にひっかかってバリバリに掠れる。
喉が乾燥していて低音が出にくいこともあるけど
低音は苦手意識があるので、どうしても力が入って身体が前にのめる。
ポジションを下げない。軽く薄いところで歌うこと。
coreのreのエ母音はoを伸ばしている時から舌先を下の歯の後ろに付けておく。

さあ、問題は次の転がすところですよ。

ピアノで、またアウフタクトのe。このeは最小限の息で軽く。
長く伸ばし過ぎないこと。
ナチュラルの記号が就いているFの音がどうも上手く取れない。
フラットつけて歌ってしまう。ここは自分のイメージより少し下。
転がすところ、レガートなんだけど、上のFが出し難くて踏ん張ってしまう。
音自体はそれほど高くないのに、前の小節から滑らかに続けないと
と思うと、力が入ってヒィという感じになってしまう。
ここの高音が上手く出せないときは、先生が使われるテクニックとして
ホ、ホ、ホ、という感じで軽くポンポンと当てていくやり方もあるそうな。
それか、一本のまっすぐな線でながれていてその上を音が軽く上下している
と言う感じの出し方か、自分の歌いやすい方でいいとのこと。
フレーズ最初のブレスからこの転がすところは d'Amoreまでひと息で歌う。
ブレスはその次の la vil servitu の前で。
このブレスまでもうが苦しくて、ブレス直前で結構力が入る。
で、ブレスした勢いで最後まで歌ってしまう。
先生によると、それでピアノからフォルテまで自然に盛り上がりができる。
la vil servituの前のブレスは、ゆっくりしっかり、多少遅れてもいい。
ここは歌いあげる箇所だから、ブレスをしっかりすることで遅くなってもよいとのこと。

メロディとテンポが変わりますよー。

ここは歌詞の発音がめんどくさくて、口の中でもごもご言ってしまう。
特に、stuolo disguardi が上手く発音できない。
イタリア語の歌は、母音が音に当たっていないといけないから
その前の子音は前倒しで早めに発音すること。
それから子音が二つ重なっているところ、最初の Vittoria の tt もそうだけど
affanni の ff もちゃんと二つ重なっているように発声すること。


loco の co と del cruto のdel が同じ小節に入っているところ
delのGの入りが遅れる。二拍伸ばしてすぐブレス、
そのあと一息で歌う。

とりあえずこの日はここまで。
あとのメロディは繰返しで歌詞が違うだけだから
残りの歌詞を覚えなきゃ。

喉の調子が悪いから掠れるけど、響きは高いところに集まっているので
出し方は悪くない。ただ、前は開いているけど後ろが開いていないと言われた。
後ろが開いていないと、声に奥行が出ないのね。
「鼻セレブ」すっかり忘れていたわ。
背中も結構使うから、後ろが硬いとだめね。
ちゃんとストレッチしなくちゃ。

先生に、声が古典に合っていると言われた。
ふふふふふ、古典好きだから嬉しいな。
全然歌えていなくて、我が心は敗北中だけど。

2021年3月29日月曜日

特に何もない

家の中に閉じこもっていたら、本当に何も変化がない。
商店街に買い物に行く途中で公園を通ったら、桜が八分咲き。
ぼんやりしている間に、季節は容赦なく巡っていくのね。

暖かいせいか、今年の桜は早いなあ。
ついこの前まで蕾だったのに、もうこんなに咲いている。

雨が降ってきた。桜が満開に近づくと必ず雨が降るね。
鳩が雨宿りしていた。

住宅街の中の更地になっているところに白い花が。
なんという花かしら。可憐な姿。
ここが更地になってからもう10年以上経っていて
お庭だったところは、木はそのままで草ぼうぼうなんだけど
住む人がいなくなって、家がなくなっても、花は咲き続けるのね。

2021年3月19日金曜日

桜が咲いた!

スーパーに行く途中に近所の公園を通ると、桜が咲き始めてる!!
わあわあわあ、枝垂れ桜はもうこんな感じ。
夜、散歩していたら、こぶしの花も咲いてるやん!
本当に春が来た。
一年ってあっという間だなあ。
去年は本当に何もせずに過ぎた、ほとんど無駄な一年だった。
何もしていないようで、ちゃんと次に繋がるようなことがあったのか。
分からないわ、それは。結果がすべてね。

でも春だから、小難しいこと考えるのはちょっと置いておくわ。

わーわーわー、春だ!
と、浮かれていればいいのよね、今だけは。

2021年3月18日木曜日

道を探す

家に閉じこもっていると、暑いのか寒いのかよく分からないわ。

最近は昼夜逆転しているせいか、寝なきゃと思っていてもなかなか眠れない。
そしたら友達からLINEが来て、やっぱり眠れないと言ってた。
ふむ、そうだろうなあ。眠れないときはラジオ体操する。

今日は歌のレッスンなので久し振りに大阪に行く。

課題曲Danny Boyは今日でいったん仕上げということになった。
この曲は本当に難しかった。
さらさらーっと続いてしまうので、なんか支えを入れられない。
それに、英語の歌詞が苦手だと気付いた。
前のSound of Musicもさっぱりだったし、口内をどう使っていいのか分からない

今日、注意されたこと。

・音をタンタンと縦に刻まない。滑らかに流れるように。
・高音は後ろに倒さない。スペースは広く、息は細く。
・声を自分の近くで鳴らさない。特に歌いだしの部分は
 自分から離れたところから声が出ているイメージで。
 手を大きく振りかぶって遠くを指さしながら練習してもよい。
・フレーズ最後の低音は、音はさがっても上がるイメージで歌う。
・イ母音、エ母音は平たく潰れがちになるので奥行を出す。
 奥行を出すためには縦に開ける。
 下あごは落とさないが、奥歯と奥歯の間を広く開ける感じで。

この後、前回の課題曲「城ケ島の雨」を歌ってみた。
すっかり忘れていてリズムが取れない(冷や汗
以前は出にくかった出だしの低音が出しやすくなっていた。
他の歌を練習していると、歌えなかったところが歌えるようになることがある。
それはテクニックがついてきたということ、と先生。

城ケ島の雨は、フレーズ毎にまとまっているというか
ひとつのフレーズが終わったらそこでブレスしてまた体勢を整えられる。
一方、Danny Boyはそういうのがないのでブレスのタイミングが難しい。

今日は乾燥しているせいか、喉がパリパリして
粘膜が引っ付いている感じ。

掠れるところに入らないように、息が通る道を必死で探して歌った。
私の場合、掠れるときは身体の後ろを使うとなんとかなる。
声が声帯を通過せず(本当は通過しているのだけど)
背骨から後頭部にあがっておでこに抜ける、というイメージ。

先生に、そのまま歌ったら今までだったらがさっとなっていたところ
上手く避けて歌っていらっしゃいますね。
それができるのは、テクニックが上ってきているということです、と言われた。
ふーむ、そうなのか。でもなんか支えられていないし
すごく貧相な歌になるんだよね。ふー。

体調は日によって違うから、正しい発声をしていても出ないことがある。
そういう場合は、なんとか出る場所を探しながら歌うようにと言われた。
これ、Youtubeの動画で見たドイツ在住のオペラ歌手も同じことをおっしゃってたなあ。

道はいつも開いている訳ではない。
到達点が見えているのだから、そこへの道が塞がっていたら、とにかく通れる場所を探す。

歌のレッスンはなかなか深いな。歌うって、人生だ。

次回の課題曲は、イタリア歌曲から先生に選んでもらうことになった。
もう当分、英語の曲はいいわ。

***

久し振りの大阪だったので、帰りに梅田近辺をうろうろ。

お腹すいたなあ。

ぴちょんくんが泣いている。
このホテル、かっこよくない?
なんか昔の映画に出てくるみたい。
久し振りにお初天神に行ってみた。
おみくじを引いてみた。
境内にあるお稲荷さんと、本殿と二回引いてみたら
お稲荷さんは小吉、本殿は末吉。
種類が違うおみくじだけど、書いてあることは同じだった。

今は慌てて動くな、と。
やる気がでなくても、今はしゃがんで飛び上がる準備をする時期だ、と。

はあ、やっぱりおみくじは当たるわ。
今、やる気はない。でもすごく焦っている。
あせってじたばた動いているんだけど、本当にこれでいいのか?とも思っている。
思っているってことは迷いがあるんだ。
迷っている時に焦って考えなしに飛びつくと、絶対後悔するんだよね。

今はちょっと宙ぶらりんでもいいか。

あ、どちらも「学業には励め」とあったわ。
はい、サボりません。勉強は続けます。
明日から。

久し振りに鯛焼き食べるよ。

鯛が痩せてる。。。
世知辛いねえ。

2021年3月11日木曜日

いろいろとどうでもいい

暖かいですね。もう3月も10日ですわ。春ですわ。
昨日なんて昼間の気温が16度もあって、こたつに入っていたら暑かったわ。

例によって、食べる→仕事する→寝る、の繰返しなのですが
ここ数日、ずっとこたつでうたた寝する日が続いて身体がガチガチ。
歌の練習をしていても、声が出ない、というか身体が膨らまない。

夕べから徹夜で仕事していて先ほど納品した。
別に忙しかったわけではなくて、集中できずにぐずぐずしていたら
いつの間にか納期が迫っていただけ。
さっき朝ごはんを食べたから、今から寝る。
もう数日間は寝続けたい。何もしたくない。もう何もかもどうでもいい。
とことん無気力ですわ。

座りっぱなしだと身体が固まるので、朝や昼間にちょっとだけ散歩している。
マンション前の八重椿も満開ですわ。

この花、正面からみたら造りもんみたいにほぼ完璧な形をしていますけど
完璧なものを見たら欠点を探したくなるのが人の常でございますわね。

後ろからみたらこんなんですよ。

お花を裏から見るなんて、ひと様の着物の裾をまくり上げるような不作法さ。
でも、見えちゃったんだもん、仕方ない。

こうしてみると、造花みたい。裏側はぺったんこなのね。
なんかどこかで見覚えがあるなと考えた。そして思い出した。
小学校の時に学校で何かあったら作っていた、ティッシュの花に似ているんだ。
ティッシュを山と谷に細く折って、真ん中をゴムで留めて開いてお花にする、あれ。
そういえば、色もこんな感じのティッシュ・・・というか「花紙」でしたわ。
ああ、歳がばれる。若い人は「花紙」なんて知らないわね。
ポケットティッシュがまだ高価だったころ、ティッシュ替わりに「花紙」という
二つ折りのもうちょっと厚手のティッシュっぽい紙を持ち歩いていたのよ。
「ハンカチと花紙を忘れないように」とおばあちゃんに言われたことないですか。
あの花紙、子供向けのはアニメとかのイラストが入ってましたわ。
今でも花紙で検索したら出てきますけど、今のは本当にお花作り用なのね。
京花紙というのが、昔の花紙に近いですね。

一杯咲いていたので、写真に撮ってみた。

ふーん、やっぱり造りもんっぽいなあ。

あちこちで木蓮が咲いている。

すごく好きな花だけど、コートもいらないほどの暖かい日に咲く木蓮はいとすさまじ。
木蓮の蕾が膨らんでくるのを見ながら、春の訪れを感じるのがいいんだよね。
姿もどことなく品が良くて、上品な花というのは冷たい空気の中で咲いているのが似合う、
というよりも、冷たい空気の中で咲いている花は凛として気品を感じさせるの。

ふらふら歩いていたら、どこかの家の塀の足元に可愛い花が咲いていた。

これも形が良すぎて造りもんっぽい。
あまりに整い過ぎて隙がないものというのは面白くないね。
人間もそうなのかも。多少欠点があった方が魅力的に感じる。

何言ってるかよく分からないのは眠いからだ。
もう寝る。

2021年3月1日月曜日

二月が終わる

二月が終わってしまった。
もう三月だよ、春だよ。でも二月はあんまり冬らしくなかったなあ。

備忘録と言っても特に書くことがない。
起きて、仕事して、ご飯食べて、寝て、の繰返しだから。
その仕事も終了。3月からどうしましょう?
コロナのおかげで計画していたことが全部だめになっちゃったなあ。

二月のイベントとしては、東京大衆歌謡楽団の三日間ライブですわね。
私は都合がつかなくて二日しか行ってないけど
去年と同じ、藤井寺市の道明寺天満宮で演奏。
梅を見ようと思って梅園に行ったら、天気良すぎてなんかしなびていた。
梅の香りが立つのは、朝の早いうちか夜ですね。
くんくんしたけど、ほとんど香りがしなかったわ。

マンションの前の八重椿の蕾が開いてきた。
近所の公園の梅の花も満開。
青空に梅はどうも映えないなあ。梅はやっぱり寒い時に咲くのが美しいよ。
春を待つ花なのに、待つひまもなく暖かくなってしまったら、なんだか興ざめだなあ。

春といえば、黄色い水仙が咲いていた。
同じ水仙でも白は冷たい空気が似合って、黄色は春の陽気が似合う気がする。

梅田の地下に行ったら、パイナップルケーキで有名な台湾の「Sunny Hills(微熱山岳)」が
大阪店をオープンしていた。行列が出来ていたのでなんとなく並んで
大阪店限定の、パイナップルケーキとりんごケーキ3本づつ入ったセットを買った。
Sunny Hillsは東京に支店があって、大阪にはたまにポップアップで出店していたのが
この度、大阪駅のLUCUA Osaka地下二階に店舗が出来たのね。

これはりんごケーキ。
りんごケーキも美味しいけど、やっぱりパイナップルケーキの方が好きかな。
ここのは、外のクッキー生地が美味しいのね。
ただ、カロリーは一個200キロカロリー越え。うわーっ。

ビニール袋の代わりに、商品サイズに合わせた布袋に入れてくれるのが嬉しい。
ちょっとした手土産にも使えるね。
まあ、これぐらいかなあ。あとは歌のレッスンに行くぐらいで特になにもしていない。

この一ヶ月、気分が上がったり下がったりで結構しんどかった。
座りっぱなしで腰も痛いし、自分史上最強のデブになるし、で
さすがに年齢には勝てないなあと思った。

外で働きたいけど、仕事が見つからない。
もう何社落とされたことか。
こういう時期は、どこも若年労働者を安く囲いこみたいから
経験やスキルよりも、若いことの方が大事なんだよね。
求人を見ると、今は月収も時給も「どうやって暮らすんや、これ!」というくらい
驚くほど安くなっている。
この時期に働きに出るのは、一番損なんじゃないかと思うようになったわ。
しばらくはなんとか在宅仕事で食いつなぐしかない。

いっそ起業しようかと思っていて、実は以前からいろいろ考えていたのだけど
今月、いろんな人とオンラインで話す機会があって気付いた。
みんな、これが好き、こういうことをやりたい、というものがあるんだ。
いや、あるだろう誰にも。と思われがちだけど、実は私にはそれがないんだ。
これがやりたいと言うものがあれば、リスクを取ってもとりあえず始めようと思う。
でも、私は何が好きかと聞かれれば、特に好きなものはない。
その時々で好奇心を刺激するものについて、深く調べたりはするけど
好奇心が満たされれば満足して、そこまで。
何かやりたいことがあるかと言われれば、特にない。

昔からそうだったんだよね。
多分、子供のころからずっと譲らされてきて、一番欲しいものは諦めて来たからだと思う。
別にいいや、と自分に言い聞かせているうちに、気づいたら欲しいものなんてなくなっていた。
期待して裏切られるのも辛いし、目の前にあるのに諦めさせられるのも辛いから。
欲しくないものを与えられて、わー、嬉しい!と喜んでみたり
欲しいものを諦めさせられて、いいよ別に、私はどっちでもいいと微笑んでみたり
これっぽっちも楽しいと思わないことを、おもしろかった、楽しかったねえ!と喜んでみたり。
そういう反応を周りが期待しているのだから、はいはい、ご期待に応えますよ。
応えたら満足でしょう?

だから人が嫌い。人と関わるのが嫌い。
ところがこれでも、明るくて元気な人、社交的な人、
いつも飄々淡々と世の中を渡っている、たくましい人
と言われているんだから、笑わせてくれるわ。

あえて何がしたいかと聞かれれば、何もしたくない。ただ、放っておいてほしい。
あえて何が欲しいかと聞かれれば、誰にも関わらずに済むための経済力が欲しい。
ストレートに言っちゃえばお金。今何が一番欲しいかと言われれば、お金が欲しい。
愛はいらない。金があればいい。

なんか身も蓋もないつまらない人間だなあ。
そうなんだよ、私はつまらない人間なんだよ。

いろんな人と話していて気付いた。
みんな繋がりたいと思っているんだ。そして自分の好きなことで世の中の役に立ちたいと。
これを聞いた時、心底びっくりした。私はかなり内向きな人間で
自分の頭の中で考えることは好きだけど、人と深くコミットするのが苦手だから
繋がり、と言われれば先に立つのは義務感。とにかく義務感。
どんなことでも、仕事になってしまう。

世の中の役に立ちたい。まあ、自分のやっていることが誰かの助けになるのなら
それは素晴らしいことだけど、これもピンとこないんだよね。
私は「溺れたときに掴む藁」としての役回りを否応なくやらされてきて
使われて捨てられて、の繰返しで、そういう星の下に生まれてきたとあきらめているけど
役に立てと言われても、これ以上何を私から奪う気だ!と思っているくらいだから。
役に立ちたいなんて思わなくても、勝手に周囲が私から搾取してくれるわ。
でも、みんなの言う「役に立つ」というのはそれとはちょっと違うみたい。
自主的になにかやって、喜んでもらえるのが喜びになるということか?
そもそも、自分のやる何かが人に喜んで貰えるなんて、凄く不遜な考えにも思えて。
お前何様なんだ、お前のやることなんか大したことないよ、という声が聞えてきそうで。

なんか面倒くさい。それでも終わりが来るまで生きていないといけないんだよね。
ただ、いつか終わりが来ると分かっているから。だからどうでもいいんだ。
すべてはどうでもいいと思える。それが自由。

天満橋を歩いていたら、こんな風景に出会った。
写真は上手く撮れなかったけど、曇り空の下の色のないこの風景が本当に美しいと思った。
まるで私の心の中のようだなあ。
私の「自由」のイメージはこんな感じだな。

これで二月終わり。

2021年2月12日金曜日

こんなに軽い声で本当にいいの?

はあ、忙しい。
起きる、仕事する、食べる、寝る、起きる、仕事する、食べ(以下略
を延々と繰り返してる。座りっぱなしで腰が痛い。
毎日暖かいなあ。もう春みたい。気付いたら水仙も梅も桃もまとめて満開になってる。

昨日は歌のレッスンでした。休みなのに先生に出てきていただいて申し訳なかったわ。
前回の分とまとめて、メモしておく。

課題曲「Danny Boy」、全然歌えませんわ。
この曲はアイルランド民謡。
「ロンドンデリーの歌」というタイトルでも知られていますわね。
民謡だから、メロディはすごく覚えやすい。
覚えやすいからみんなが知っていて、口ずさむことができて
それで、ずっと伝わってきたんだろうけど
実際にちゃんと歌おうとすると、とんでもなく難しい。
これは何かの罠か?今回もまた私は油断したわ。

このメロディは特別高いわけでも特別低いわけでもないのに
とにかく歌い難い。

この出だしのところなんかいっつも詰まってしまう。
最初のレじゃなくて、なぜか次のミbがひっかかって掠れるんだわ。

先生によると、出にくいと分かっているから無意識にさっと流そうとしているって。
こういう出しにくいところほど、ひとつひとつの音を丁寧に歌うようにと注意された。

ブレスして上を開いて、その開いた同じ空間で歌うこと。
低いところは柔らかい細い息で、花の香りを嗅ぐように
後ろに引くようなイメージで。

この曲はフレーズの終わりでメロディが下がるのだけど
響きもそれに合わせて下がりがちになってしまう。
高い音も低い音も、上の方の空間を開けて同じ場所で歌うこと。
どうしても下がりそうになったら、障子を真横にすっと開けるように
下じゃなくて横に広げる。

下がると言えばここ。
メロディも下がっていくけど、歌詞もfallingと落ちるから
それにつられて響きも下方向に下がってしまう。
音は下がっても歌っている位置は常に上、縦の空間で歌うこと。

この続きのmust go and i must bideも下がってくのだけど
この前にブレスをし忘れると、最後の音で息が足りなくて高さを維持できない。

ほんで、続いてサビに入るのだけど、Butで前に押している。
ブレスで縦に開けてその位置で歌い続ける。維持できなければ横に開く。
高音で後ろが開いていない。どうしても開きを維持できない場合は
頬骨を上げて無理やり開いた状態を作る。
マスクの下で不気味な笑顔になりながら歌ってしまった。
見えないからまあいいか。

先生によると、この曲のポイントは三つ。
- ブレスして開けた空間で低音も高音も同じポジションで歌う。
- 縦に開けて、つねに縦のスペースを維持すること。
- 低音で高いポジションを維持できなければ、横にスライド。
ひとまずはこの三つが出来るようになるまで、考えながら歌うこと。

それプラス、音の形は唇と下で作る。
オ母音のように唇が丸く狭くなる音はどうしても前に寄りがちになるけど
喉の奥は常に開いていること。
子音は強く鳴らそうとせず、頬骨のあたりを針でぴっとつく程度に。

考えながら丁寧に歌ってくださいと言われて、考えながら歌った。
掠れるところに入らないように空間を探して、その空間の中で歌っている感じ。

そうするとつっかえずに歌えて、先生にも
「すごく考えて丁寧に歌えましたね。全体的に綺麗に響いています」と言われた。
でも、なんか変。
声が薄っぺらいというか弱いというか、この曲ってこんなに軽い曲だったっけ?
いろんな人が歌っているのを聴いてみたけど、なんかみんな結構熱唱しているんだけど。
私が歌うと、細い声が前方の高いところを風船のように浮いているようなイメージ。
なんだか物足りない。

先生にそう言うと、その出し方が正しいです、と。
身体に余分な力が入らず、楽に歌えた声が自分にとっての良い声なんだと。
前方の高いところで風船のように浮いていると感じるなら、それは間違っていない。
声は高いところにあって、それが身体と細い糸で繋がっているイメージがあれば良いそうな。
良い声が出たときは、空中に浮かんだ硝子玉の中で歌っているような感じがする
という歌手の人もいるとか。

こんなにぺらんとした、か細い声でいいのか?だってみんな熱唱しているし。
それも先生によると、そういう歌い方の人は声そのものが太いんだって。
ソプラノの場合は、みんな息を細く少なく出して高い位置で歌っていて
自分では薄っぺらい、なんだか物足りないと感じていても
響きと倍音で、聴いている側からすれば十分に幅のある声に聴こえる、と。

こういう感覚はいつごろから感じましたか?今日が初めてですか?と聞かれた。
これまで高音は無理にでも空間を開けないと出なかったから
高音の場合だけはそういう感覚があったけど、中音は普通に出せた。
今日は声が出にくいから、意識的に上の広い場所から
全部の音が逃げないように気をつけていたら、こういう感じになった。

それでいいんです。そういう感じで高音も低音も同じ場所で歌ってください、と先生。
うーん、でもちょっと平坦な曲にならないか?と思うけど
まずはその高い空間で歌えるようになること。
表情をつけたかったら、サビの部分で少しだけ息の圧を強くすることで
感情の高まりを表現すればいいんだって。
確かに、まともに声が出せてないのだから、表現なんか考えている段階じゃない。
まずはちゃんと開いて普通に歌えるようになってからだなあ。

自分が思っているよりも、力が入っているのかもしれない。
今までよりも、もっともっと軽く歌えはいいのかも。うーん。
確かにその方が身体は楽なんだけど。

これは練習しながらもうちょっと考えなくては。

2021年1月20日水曜日

並ぶ阿呆

天気が良い日は暖かく、悪い日は寒い。
外を歩いていた方が暖かく感じるのはなぜでしょう。

また週末からずっと、おこたのお守りをしていました。
寝る、起きる、食べる、仕事する、寝る、起きる、の繰返しで
時間の感覚も日にちの感覚も無くなっておりますわ。

昨日(多分、昨日だと思うけど自信がない)、仕事用パンプスの底の修理に行った。
外出したついでに、久しぶりにミスドに行ってみた。
あ、不用不急の外出じゃないですよ、あくまで修理が終わるまでの時間潰しですよー
という苦しい言い訳を、一体誰に向かってしているのだ私は。
ミスドとなんとかいう有名なショコラティエのコラボドーナツが話題になっていて
その写真を見ると美味しそう。食べてみたいなあと思った。
なんでも、店の前に行列が出来ていてすぐ売り切れるそうなので
午前中なら大丈夫かなと思って行ってみたよ。

店に着いたら10時半。ショーケースを眺めても限定ドーナツがないよ。
お店の人に聞いたら、販売は11時から、それまで列にならんでお待ちくださいと言われた。
店の前には若い女性が二人、もう並んでいたわ。
その後に続いて並ぶ。私の後ろには、家族に頼まれて来たようなおじさんが並ぶ。
はっ、密になってはいけない!
前の人と1メートル以上空けたら、後ろのおじさんも私との間隔を空けてくれた。
寒いこともあって、みんな無言。無言でひたすら待つ。
通り過ぎる人の「え?何なの?何で並んでいるの?」と言う視線が痛い。
次から次へと人がやって来て、列がどんどん長くなっていく。
君らは平日の午前中から、しかもパンデミックの真っ最中に、
働きもせず何をやっているのだ!!
まあ、私もなー。
自分でもアホやなあと思ったけど、せっかく来たから買いたい。

はい、買いました。おひとり様4個までと決められていたのでとりあえず3つ。

どれを買おうか迷ったけど、待っている人も多いのであまりぐずぐず悩んでいられない。
適当に、キャラメルクリームのドーナツと、ハート型のを買ってみた。
ハート型のは生地がミルフィーユで、白はヘーゼルナッツ、ピンクはフランボワーズのジャム。
インスタ映えする色と形ですね。

お味の方はというと、あんまり美味しくな・・・あ、いやいや、
残念ながら私の口には合いませんでしたわ。
一番美味しかったのは、一緒に買ったポンデリングでした。
やっぱり定番は定番になるだけのことはありますね。

以上、ポリティカルコレクトネスを意識しつつ、感想終わり!

2021年1月15日金曜日

緊急事態宣言、再び

と、いってもあんまり生活は変わらないですね。
週末から気付いたらずーっとこたつの中で過ごしていて、身体がガチガチですわ。
部屋の中は寒いのに、外に出て歩き始めると暖かく感じる。
ちょっと運動したり、教えてもらったストレッチもやらなくちゃ。

友達からメールが来た。
小学生のお子さんのクラスに感染者が出て、コロナが一層身近になってきた、と。

その同級生は無症状で、検査結果が出てから二週間休んだそうですが
同じクラスのお子たちは、マスクをしているので濃厚接触者とみなされないとか。
はあ、そうなんか。小学生なんて一日一緒にいて、ふざけたり
大声だしあったり、掴み合いしたりしているのに、それでも濃厚接触者じゃないのか。
職場でも同じみたいですよね。前みたいに感染者が一人でても
症状が出ない限りは全員が検査するわけじゃないみたいです。

そのお子さん、やっぱり親御さんからの家庭内感染だったそうで
親御さんが発熱して、PCR検査をして陽性と判明、
それで家族全員検査してみたら感染していたんですって。
家にいる時はマスクしないし、家族はあらゆるものを共有しているので
ひとりが感染したら、家族全員に感染させる確率が非常に高いということですね。

無症状でも感染させるけど、出すウイルスが少ないのでマスクしていたら大丈夫、
という説明が学校からあったそうなんですが、二週間は心配で生きた心地がしなかった、と。
遠足となると、子供はハイになって大声ではしゃいだり、
お弁当を食べている間にマスクを外してしゃべってしまったりすることがあるので、
特に遠足で同じ班だった子の親御さんたちは、非常に心配されたとか。

二週間経って、クラスに体調を崩した子が出なかったので結果オーライ。
角を立てたくないから表だって非難はしていないけど、
親はみんな陰ではこっそり言ってるって。

なにが親御さんたちをもやもやさせているかというと、
そもそも親は症状があったからPCR検査を受けたんだよね。
検査結果は翌日に出るのに、その結果が出る当日に、
結果を待たずに子供を遠足に行かせたことなんだって。
これだけ家族内感染が多いと言われているのだから
子供に感染しているかもしれない、と普通は考えるはずよね。
なぜ結果がはっきりするまでの一日二日を休ませなかったのか。
同級生に喘息やら持病のある子がいるかもしれないと思わなかったのか。
お年寄りと同居している同級生がいるかもと考えなかったのか。

ここまで感染者が増えたら、もういつか全員感染すると思った方がいいし
自分も既に感染しているかもしれない。だから感染したこと自体は仕方ない。
昨日まで一緒に学校に通っていたんだし、一日くらい休んでも休まなくても、
たいして変わらない、変わらないとは思うけど、
周りを気遣わなかったことがどうしてもひっかかる。
ああ、そういう人やったんや・・・・って。

感染はしない方がいいに決まっているけど、するときはするし仕方ない。
だた、感染した場合に周囲への対処を誤ると、
そっちの方があとあと禍根を残すということですね。

2021年1月7日木曜日

唐土の鳥

今日は寒い。すごく寒い。
ここ数年、暖冬が続いていたから、久しぶりに冬らしい寒さが老体に堪えるわ。
昨日から頭がボーっとして顔が赤い。今朝起きたら、顔が火照っていて熱い。
もしかして、もしかして、コロナ?!と、思って体温を計ってみたら、35度9分。

冷えのぼせかいっ!

そりゃ一日おこたのお守りをして下半身だけを温めていたら、頭はのぼせるわ。
それにしても低すぎないか。さすが安定の低体温症だ。
このまま体温が上がらず植物になってしまっては大変、とスクワットやった。

今日は1月7日。春の七草の日。
今年は早めに七草粥セットを買っていたので、朝もはよから七草粥を作ったよ。
いつものように、まな板を鳴らしながら
 七草なずな、唐土の鳥が
 日本の国へ 渡らぬうちに
 羽根つき合わせて ばーたばた
と、歌いながらまな板をとんとんと包丁でたたく。
朝6時から近所迷惑なやつ。

まな板が湿っているせいか、トントンという良い音がでない。
音は魔除けなんだから、軽やかな音が響かないと駄目なのよ。
無理矢理まな板を叩いていて思い出した。
そう言えば、去年はバタバタしていて七草粥を食べていなかったわ。

ああああっ!当たってしまった。あのジンクス、当たってしまった!
前にも書いたことがあるけど、七草が買えなくて七草粥を食べなかった年に
SARSだったか新型インフルだったかが大流行したんだよね。
それからは絶対に毎年食べるようにしていたのだけど、去年は気付いたら7日過ぎていた。

そして来た、再び唐土の鳥、来た!

私が春の七草を忘れていたせいで、日本がこんなことに!
・・・ってそんなことあるかいw
でも、偶然が重なるとなんか気持ち悪いなあ。

作った。
お粥というより、おじやになった。
お米に芯が残ってしまったけど、気にしない。
七草粥を作って食べる、ということが大事。
みんなで七草粥を食べて、日本を守るのだ!
と、愛国婦人会みたいなことを言う。ま白き富士の気高さを~♪

日頃は、こんな国とっとと滅びろやっ!と思っている私ですが、
年に一回くらいはいいと思うの。防疫は国防!

2021年1月4日月曜日

荒れ野に独り

あけましておめでとうございます。

お正月用のお花は買わないつもりだったけど、やっぱり買った。
そして活けてみた。下手なので若松の先端だけ。

なんかダメ感あふれてる。だって玄関が寒かったから
長さのバランスを取るのが面倒だったんだもん。

新年と言っても、今年はお正月中止だから
年末からずっと、仕事→寝る→食べる→仕事、のローテーションしています。
肩はガチガチに凝っているし、目は痛いし、集中は続かないし、太るし
年齢を感じるわ。

それはさておき、後輩から年賀状が来た。
会社を辞めて独立したんだと。

自分の好きなことを始めました、と。
それはいいのだけど、去年スタートさせたというネットショップを覗いてみて
うーん、と考え込んだ。
若手アーティストさんのカードとかハーブティーとか
彼女が好きそうなものを扱っているのだけど、
正直、あんまり利益は出ないだろうなあと思った。
多分、利益を出すのが目的ではなくて、好きなものを広げていきたいという感じなんだろう。
ヨガ教室もやっているみたいで、ちょいスピリチュアル系?

この後輩さん、ふわっとした可愛い感じで独特の世界を持っていた。
仕事は熱心で丁寧、細部まできちっと詰める人だったから
会社を辞めるにしても、思いつきで衝動的ではなく
じっくり考えて計画を立ててから辞めているはず。
職場は大手だから、運転資金もしっかり貯めていると思う。
彼女のやることに抜かりはない。

そうなんだよね。ちゃんと考えて始めたはず。
なのになんでこんなにモヤモヤするのだろう。
彼女には、その時私が持っていた知識や経験を全部教えた。
だから、仕事で頑張ってほしかったという気持ちはある。
実際、仕事は楽しいと言っていたし。

でも、やりたいことが見つかったのなら若いうちにやるべき。
軌道に乗せるのに10年かかったとしても、若いうちならその10年の後がある。
私の歳になったら、もうその10年そのものがないのよね。
歳を取って、引退してから好きなことをやる。それもアリだけど
それって老後の暇つぶしであって、こうありたいという人生設計ではないのよね。

彼女のショップを見て感じたのは、悪く言えば素人くささ。
良く言えば、ゆるやかで力が入っていなくて優しい感じ。
え?こんなんで大丈夫なんだろうか?食べて行けるの?と思った私はおばさん。

稼ごう、儲けようという気持ちはないんだろうね。
それよりも、自分の好きなものに囲まれて、同じものが好きな人と繋がって
輪が広がって、それでなんとかなるのが実は今の世の中なのね。
プロががっつり細部まで作りこんだものではなく、
感性とか感覚が合うかどうかの方が大事。
今の若い人ってそうよね。
そういうのを見ると、歳を取ったなあと思う。
私は常に、これでいいのか、これは商品になるのか?
お金を払ってもらう価値はあるのか?と考えてきた人間だし
まあ私の年代の人は大体そうよね。

自分の感性に合うものにお金をだす人はいるし
同じ感覚の人とつながりたいと思う人もいる。
そうそう、繋がり。
優しくて、ふんわりしていて心地よい繋がり。
おそらくそこからいろんなビジネス、ああビジネスじゃないよね。
いろんな活動に広げていくんだろうなあ。
とにかく、楽しんでやってくれることを祈ってる。

ただ、その繋がりの中に私は入れない。
私はこういう、ふわっとした柔らかい繋がりというのが苦手なんだ。
だって私は闘う女だから。常に何かに抗っている人間だもん。
怒りを推進力にして、怒ったあとのアドレナリンが噴き出す感じが好きなんだもん。

うーん、上手く言葉に出来ない。
何がいいたいのか纏まらない
同じ浮世に生きていて、袖摺り合った仲なのに
見えている世界が全然違うんだと、今更ながら気付いたことに驚いたのかもしれないし、
私の中には存在しない、柔らかくて美しいものを持っている彼女が羨ましいのかもしれない。

あなたは好きなものに囲まれた、優しい世界にいてください。
美しいもの、好きなものを追求して。
私はこのまま荒れ野を進んで、この世の汚いものを見続けるよ。

また放置、そしていつのまにか春

 歳月が流れるのは早いなあ。 ぼーっとしている間に一年が終わり、年が明けたと思ったらもう2月も終わり。 父が手術で入院したりとバタバタしていたので2月半ばまで実家でリモートワークした。 いやー、仕事になりませんわ。 18時まで仕事なのに、5時過ぎから母に「ごはん作るの手伝え...